2012年1月27日 (金)

おめでとう、伊藤可奈さん! 宮中歌会始 入選祝賀会・・・・

ども、だん馬鹿ですpaper

先週土曜日の夜遅く、『だんじり eo SE』の姉妹サイト 地車総合サイト『だんじり』だんじり知恵袋に一通の書き込みを発見。
「明日の馬場之町の天皇なんとか祝賀会の詳細教えて下さい 〈(_ _)〉 」との質問。

馬場之町は、和泉市府中地区 馬場之町のこと。
「なんじゃこりゃsign02」と思いながら、同町の友人O君に電話しようかと思ったものの、深夜のことでもあり、明朝することに・・・・。

日曜日の朝、眠い目をこすりながら起床。
とりあえず、「だんじり知恵袋」に回答が寄せられていないかとチェック。
そこには、「馬場之町は10時から小屋前の公園で祝賀会、鳴り物披露と聞きました。・・・・」との回答。

それにしても、「祝賀会・・・」、「天皇なんとか・・・」、「鳴り物披露・・・」、いったい何をしてるんじゃろうと思いながら、時計を見れば10時すぎ・・・。
友人O君に事情聴取の電話mobilephoneをするも、応答はなし。
「いっぺん行ってみるか」と思いながら、空腹に耐えきれず、コーヒcafeーとトーストbreadで遅い朝食。

バナナbananaを食べ終わる頃に、ケータイが鳴った。
「おっ、O君やんけー」と、電話mobilephoneをとる。
まずは、やたらと遅い年賀の挨拶。
そして、事情聴取の開始。
内容は、こうである・・・・。

うちの後テコの頭の娘さんが、『宮中 歌会始』に応募したら入選しまして、学校の先生やら呼んで、町内で祝賀会やってますねん。
地車小屋の前の公園が会場で、地車出して、鳴り物披露して・・・・。
某書き込み系サイトに載ってるみたいで、地車マニアの人らもようけ来てますわぁ~。

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「そんな目出度いこと、もっと早く言うてくれたら、大々的に取材に行くのに」と言えば、頭の娘さんが入選したことは新聞にも出ていたそうで、式典は一応終わったが、地車見るんやったら早よ来なはれ・・・・sign01

午後からは京都へ行く予定であったため、時計とにらめっこした上で、馬場之町の方は断念。
O君に写真を撮ったかどうかを確認すれば、撮っていないとの旨。
来ている地車マニアの中に、よく見かける奴がいるかどうかの問いかけに、だん馬鹿さんの知り合いも来てますとの返事。
ほなら、誰かとっ捕まえて電話を代わってくれるよう依頼。
電話に出たのは、当サイト『だんじり eo SE』や地車総合サイト『だんじり』にも何かと協力してくれているポン吉くん
これは好都合とばかり、取材・写真提供を依頼。
彼は、快く大役を引き受けてくれ、本日の『だん通 eo SE』で祝賀会のことを紹介できた案配・・・・ポン吉くんに感謝sign03

ちなみに、歌会始で入選したのは、伊藤可奈さん
高校2年生の彼女は、今年の入選者の中で最年少。
選考の対象となった1万8830首の中から、見事に入選を果たしました。

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写真は、伊藤可奈さんと国語の先生(左)、担任の先生(右)。そして、ご両親と。
可奈さんんは、少々緊張気味・・・・?

1201275彼女が通う高校では、歌会始に倣い、校内で和歌披歌会を開いており、入選作も国語の授業の課題でつくられたもの。

  岸辺から 手を振る君に 振りかへす
        
   けれど夕日で 君が見えない

中学三年の夏休みに家族とともに訪れた母親の実家のある島根県・隠岐の島。
大阪へフェリーに乗って帰る際に、見送りに来た祖父母と手を振り合う、別れの光景を詠んだ歌なのだとか。

伊藤可奈さんは、同町少年団設立時のメンバーのひとり。
お父さんが、後テコの頭、祭礼役員であったため、この祝賀会と相成ったそうです。

今年の歌会始の勅題は、『岸』。
今年新調予定の岸和田市大北町の地車の台木には、先代地車(堺市片蔵に売却)に引き続き、勅題の『岸』をイメージしたものが彫り込まれるのだとか。
なお、大正9年に新調された先代地車の台木には、その年の勅題『田家早梅』が彫られています。

来年の勅題は、歌会始の儀がおこなわれた1月12日(水)に発表され、『立(りつ)』と定められました。
皆さんも、一度チャレンジしてみてはいかがでしょうか。

ほな今日の『だん通』は、このへんで・・・・。
伊藤可奈さん、おめでとうございました。

2012年1月24日 (火)

だん馬鹿、超巨大な龍との遭遇・・・・!?

ども、だん馬鹿ですpaper

うぅ~、さぶい・・・・。
昨夜のニュースでは、関東地方の大雪snowの映像が映し出されていましたが、泉州は堺でも今朝の通勤時間には小雪が舞う、さぶぅ~い一日。
いっそ、外へも出れないぐらいの大雪が降ればと思いながらも、寒さにはめっきり弱くなった私 だん馬鹿さん・・・。
私を温かく包み込んでくれる可愛いおねえちゃんが現れないかと、馬鹿なことを想像しながら、今日も『だんじり通信 eo SE』の始まり始まり・・・・(笑)。

前回の『だん通 eo SE』では、今年の干支『辰』にちなみ、地車に彫られている『龍』の彫物なんぞを紹介しました。

>>前回のブログを見る

さて、今日は、この前の日曜日に訪れてきた、京都市内の神社にある龍の彫物を紹介しましょう。

地車ネタを書かずに、寺社彫刻の話となれば、「ネタ切れか?」と思われる方もおられるとは思いますが、はいピンポ~ンsign01、御明察。
少々、ネタ切れでおます・・・・(辛)。

訪れたのは、京都市東山区の東福寺にほど近い、瀧尾神社というところ。
なんと驚くことなかれ、この神社の拝殿の天井には、全長8メートルという龍の彫物が施されているのだとか。

そんな話を聞いたからには、行かねばなるまいsign01
ネタ切れに悩む私にとっては、願ったり叶ったり、それも辰年の今年ならではのネタ。
前回のブログも、この瀧尾神社の龍の彫刻への布石・・・・。

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鳥居の向こうに見える、拝殿というよりは能楽堂のような建物にお目当ての巨大な龍の彫物があるところらしく、噂を聞きつけたのか、カメラ片手に見に来られた人は後を絶たず。
私 だん馬鹿さんも遅れてはなるまいと、拝殿に上がり、頭上を見上げれば、おぉービッグsign01、「なんじゃこりゃ」と唖然とすること暫し・・・・。

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日ごろ見慣れた地車に彫られた龍とは、スケールもケタ違い。
しかし、下から見上げているだけでは、龍や何やらわかりづらい・・・・。

こんなこともあろうかと、持参した脚立をセットし、上へ昇ってみれば、巨大な龍の顔とにらめっこ。

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そのリアルで巨大な龍に睨まれたとあっては、私とて後へのけぞってしまいそう・・・・(もう少しで落ちるところでした・・・)。

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顔や体、足に尾、巨大な胴体を覆う鱗の一枚一枚も、目を見張るばかり。
その迫力たるや、想像を絶するほど。

せっかくだからと、名古屋から見に来られた御夫婦や奈良県の某有名寺院の若きお坊さんにも、「脚立使いますぅ~」と勧めれば、やはり驚かれた様子で、これまた脚立から落ちそうに・・・・(ウソです)。

さてさて、この瀧尾神社、あの『源平盛衰記』にもその名が見える、古い神社。
天正14年(1586)10月に、豊臣秀吉が方広寺大仏殿を建立したのに伴い、現地に遷座。
現在の本殿・拝殿・手水舎・絵馬舎は、江戸末期の天保10年(1839)~11年にかけて、現在の大丸百貨店を創業した下村家の手により造立されたのだとか。

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本殿や拝殿は見事な彫刻が施されていることで知られ、それらは京都の高名な彫刻家で代々当主が「新之丞」を名乗る、九山新之丞 師の子息 九山新太郎の手によるもの・・・・(浅学の私は知りませんが)。

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神社内の回廊には十二支の姿、回廊の門や手水舎には水鳥や唐獅子、龍・犀・鳳凰などの霊獣などが数多く彫られていました。

その中でも、私の目を釘づけにしたのが、本殿正面の蛙股に施された一体の霊獣。
顔は鳳凰、四足で鳥のような足、身体は鱗で覆われている。
「どこかで見たような・・・・」と思う間もなく、私が生まれ育った堺市津久野に鎮座する、氏神様の踞尾(つくお)八幡の拝殿蛙股と同じ動物。

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私の調べでは、この動物の名は、肥遣(ひい)
龍の一種で、中国の陽山に棲み、干ばつを起こしたりするらしい。
一説では、その肉を食べると種々の病が治るとも。

あちらこちらの寺社彫刻を見ているが、我が踞尾八幡宮以外でこの霊獣を見るのはこれが初めて。
家に帰り、インターネットで瀧尾神社のことを紹介しているHPを見てみると、「少なくとも京奈には、同様の霊獣が描かれた例はないことから、日本でも1体しか存在しない像だといわれる」と書かれているのを発見。
しかし、私の生まれ育った津久野の地にも存在していますので、悪しからず・・・・。

そんなこんなで、巨大な龍に驚かされ、数々の素晴らしい彫刻を堪能し帰宅。
瀧尾神社の巨大な龍、正月休みに訪れた奈良県信貴山の世界一の張り子の寅と、今年は巨大なものに縁があるのかと思う、私 だん馬鹿さん。
食べ過ぎと運動不足、体たらくな日常生活で身体が巨大化しないことを願いながら、今日の『だん通 eo SE』は、これでオシマイ・・・・。

では、次回もお楽しみに・・・・(ネタ切れですわぁ~)。

2012年1月20日 (金)

今年は何年? 地車に、なくてはならない・・・・

ども、だん馬鹿ですpaper

1月も早半ばを過ぎ、本年6回目の『だん通 eo SE』の更新。

この時期、タイムリーなネタもなく?、「さて、何を書こうかな」と昨夜から思案ばかり・・・・。
PCに向うも、いっこうにキーボードを打つスピードも上がらず、指の赴くのはBackSpaceキーの方ばかり。

こういう時の強い味方が『今日は何の日』というPCサイトなのですが、先週は「源 頼朝」に登場いただいたことだし、そう度々、奥の手を使うのもどうかと・・・・。

ちなみに今日1月20日は、地車彫刻でもおなじみ『宇治川の先陣争い』がおこなわれた日で、寿永3年(1184)の今日の出来事。

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さぞかし宇治川の水も冷たく、佐々木高綱・梶原景季の両将ともに、身も凍る思いであったことでしょう・・・・(笑)。
まぁー、『宇治川の先陣争い』のことは、またの機会ということで・・・・。

今日は、先日から「書いとかなあかんよなぁー」と思いつつも、機会を逃していたことを少々。
「おっ、超レアな地車ネタか?」、「地車見れるンちゃうん?」なんて思われた方、期待に添えずゴメンなさい。

平成24年1月も半ばを過ぎ、「なんで今さら・・・」と言う方もおられるとは思いますが、ネタ切れ回避のためにも思いきって書いちゃいますので、悪しからず。

平成24年、西暦2012年、皇紀2672年・・・・、今年の干支は『辰(たつ)』。
『辰』と言えば、そう御名答、ピンポォ~ン、『龍』

我々が愛してやまない地車、特に地車彫刻にはなくてはならない動物と言っても過言ではありません。
岸和田型・住吉型・堺型に大阪型、宝塚型に北河内型、石川型に・神戸型・・・、上地車・下地車、型式を問わず、必ずと言っていいほど、地車には『龍』の彫刻が施されています。

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岸和田型地車(下地車)なら、枡組には必ずと言っていいほど、龍の尾垂木。
枡合いに彫られた「素盞嗚尊、八岐大蛇退治」の大蛇も、龍の姿。

上地車なら、柱巻き・虹梁・鬼板・車板に見送り、脇障子など、多くの部位に龍の姿を見ることができます。

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1201206圧巻なのが、北河内型地車の超巨大な車板の龍。
地車の大きさもさることながら、大人ひとりでは持てないほどの大きさ・・・・。
これを見た子供らはその迫力に圧倒され、泣き出す子もいるとかいないとか・・・・?

さて、辰(たつ)年の『辰』は、もともとの読み方は「しん」で、原字は「蜃」。
「蜃」は、二枚貝が開き、弾力性のある肉をびらびら動かしている様を現した文字。
『辰』は、「漢書 律暦志」によると、「動いて伸びる」・「整う」の意味で、草木が盛んに成長し形が整った状態を表していると解釈されており、後に十二支を庶民に浸透させるために空想上の動物「龍」があてはめられたのだとか。

水中や地中に棲み、啼き声で雷雲・嵐を呼び、竜巻となって天空に昇り自由自在に飛びまわり、古くから風雲雷雨を司る神とされ、その姿は、首から腕の付け根、腕の付け根から腰、腰から尾までの長さが等しく、角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼または兎、身体は蛇、腹は蜃、背中の鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛の特徴を持つという。
口元には長い髭をたくわえ、喉下には一尺四方の逆鱗があり、顎下に宝珠を持っていると言われる。

古代から、麒麟・鳳凰・玄武とともに『四獣神』のひとつとして東方を守護する神獣・霊獣ともされ、古墳の壁画や神社仏閣の彫刻などにも用いられています。

中国、日本のみならず、多くの古事・伝説などにも登場。
黄河の上流、「龍門」を登った鯉は龍になるという伝説もそのひとつ。
中国では、皇帝の権威の象徴とされています。

地車彫刻においては、その勢いの良さ、五穀豊穣を祈る祭礼の意味合いから水を司る神として『龍』の彫物が施されたと考えられます。
また、干ばつ・水害などの災禍が降りかからぬようにと願いを込め、水の神『龍』の彫物が用いられたのかも知れません。

今年一年も、あちらこちらで様々な地車、そこに彫られた龍の姿を見ると思いますが、彫物師によっても、表情、力強さ、その構図も様々・・・・。
近隣の神社やお寺にも、必ずと言っていいほど龍の彫物はあるはず、じっくりと見比べてみては、いかがでしょうか・・・・。

2012年1月17日 (火)

阪神淡路大震災から17年、だん馬鹿さんの思いは・・・・

ども、だん馬鹿ですpaper

今日は、1月17日。
あの未曽有の被害をもたらせた『阪神淡路大震災』発生から、今日で17年。
兵庫県内を中心に死者6434人、負傷者約4万4千人にのぼる大惨事。

幸にも、私の住む大阪 堺では、大きな被害もなく、当時32歳の私は学生の頃にお付き合いしていたお姉ちゃんとのデートスポットであった神戸の街の変わり果てた姿に「これで青春も終わりかな?」と、つぶやいたかどうかは記憶にありませんが、テレビに映し出される被災地 神戸の惨憺たる光景に憂いを抱いたのも、今となっては遠い過去のよう。

私が、あちらこちらの地車を頻繁に見に行くようになったのもこの頃で、「神戸のだんじりは大丈夫なんやろか?」、「当分の間は、祭りどころやないなぁ~」などと、友人たちと語りあったものでした。

それから月日は流れ、震災から5年目の平成12年4月29日、神戸市東灘区では東灘区制施行50周年を兼ね、『震災復興記念だんじりパレード』がおこなわれました。

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それまで、青春の思い出の地 神戸から足が遠のいていた私もカメラ片手に現地を訪れ、パレードに参加していた区内30台の地車に一喜一憂。
「こんな機会はめったにないぞ」とばかりに、片っぱしから見て回り、素晴らしい地車彫刻の数々をフィルムに収めたのも昨日のことのよう・・・・。

それ以来、春の祭りのみならず事あるごとに神戸を訪問。
神戸のだんじり祭を見るにつれ、震災を乗り越えた多くの人たちの元気いっぱいの姿に感動すら覚え、逆に元気をもらっているのが現状。
友人・知人の数も増え、今や神戸の祭礼にも参加しちゃおうかなんて思うほど・・・・(どなたかお誘いのほどをsign01)。

一昨年の10月10日には『東灘区制60周年記念だんじりパレード』が開催され、平成12年におこなわれた『震災復興記念だんじりパレード』の再現。

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私は、他の取材のために見に行くことができませんでしたが、パワー溢れる神戸の方々には頭が下がる思い。

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昨年3月には『東日本大震災』が発生。
東北地方を中心に多くの犠牲者・被災者をだし、今なお被災地では苦難の生活を送っている方々が多いと聞きます。

『阪神淡路大震災』から17年目の今日、同じ国に住む者として、東北の地で頑張っている方々を少しでも元気づけられることはないのだろうかと思い悩む私 だん馬鹿さん・・・・。
東北地方の早期復興と、二度とこのような大惨事が起こらないことを願いながら、今日の『だん通 eo SE』は、このへんで・・・・。

2012年1月13日 (金)

歴史のひとこま、今日は何の日・・・・?

ども、だん馬鹿ですpaper

ここしばらく寒い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?
北海道や東北からは大雪の便りが・・・・。snow
昨日は北海道十勝の陸別では、氷点下29.1度の今冬一番の寒さを記録。
テレビのニュースで映し出されるダイヤモンドダストのきらめきに感動しつつ、暖かいお部屋でコーヒーブレイク。
寒さに弱い私 だん馬鹿さんは、大阪に住んでて良かったと、安堵の一言。
皆さんも風邪などひかぬよう、御注意のほどをsign01

さて、今日1月13日(金)の『だんじり通信 eo SE』は、今後のネタ切れを見越して、ひとつ奥の手を・・・・。
ネタ切れの強い味方、「今日は何の日」でおます。

今日1月13日は何の日かと、インターネットで検索を掛ければあれやこれやと出てくるのですが、ちなみに今日は『たばこの日』なんだとか。smoking
愛煙家の私にとっては、たばこが吸えれば良いだけで、今日が『たばこの日』であろうがなかろうが、そんなことはどうでもいいんですが・・・・。

歴史上の出来事に目を向ければ、M7.1、死者1180人を出した三河地震が起きたのは昭和20年のこの日。
たばこの「ピース」が発売されたのも昭和21年の今日。「たばこの日」の起源は、ここからかも・・・・?
昭和32年には、あの美空ひばりが塩酸をかけられたそうで、これも今や歴史上の出来事なんでしょうか?

まぁー他にもなんやかんやとあるみたいですが、私たちがこよなく愛してやまない地車に関連することと云えば、上だんじり・下だんじりを問わず、地車彫刻に頻繁に登場する人物が亡くなったのも今日1月13日。

1201131_2その人物とは、鎌倉幕府初代将軍・・・・、ピンポォ~ンsign01 ハイ御名答、源 頼朝

源 頼朝は平安時代の末期、久安3年4月8日(1147年5月9日)、河内源氏の源 義朝の三男としてとして生まれた武将。
あの源 義経とは異母兄弟。

平治元年(1160)に起こった平治の乱で、父 義朝とともに敗れると、1頼朝は伊豆国に流され、平家一族の北条時政に保護され、やがて時政の娘・政子と結婚。ここで平家打倒のチャンスを待ちました。

治承4年(1180)4月9日、源 頼政(頼朝とは遠縁)が以仁王(後白河上皇の皇子)の平家追討の宣旨を得て挙兵。頼朝もそれに呼応して挙兵。

第一攻撃目標は伊豆国目代山木兼隆と定め、襲撃し、兼隆を討ち取る。 ・・・・『山木館、夜討ち』

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1201135_3しかし、その後、石橋合戦で敗れ、数日間の山中逃亡の後、死を逃れた頼朝は安房国へと逃げる。 ・・・・『頼朝、朽木隠れ』

上総・千葉両氏の支持を受けた頼朝は、その後関東を平定。その勢力も強大に・・・・。

平家側も恐れを成したのか、治承4年(1180)頼朝追討の宣旨を受けた平維盛率いる数万騎が、頼朝・武田信義・北条時政らが率いる2万騎と富士川で対峙する(富士川の合戦)が、水鳥の飛び立つ音に浮き足立った維盛軍は潰走し、頼朝軍はほとんど戦わずして勝利。

この直後、異母兄弟の源 義経が、兄 頼朝と初対面。・・・・『黄瀬川の対面』

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寿永2年(1183)7月には、頼朝とは従弟にあたる源 義仲が上洛。
平家は西海に落ちのび、翌年1月に源 義仲は征夷大将軍に任じられました。

その義仲も、後白河上皇の意向を受けた頼朝が義経に命じ、義仲を追討。
頼朝は更に、義経に西海の平氏の壊滅を指示し、義経の働きにより、悲願の平家討伐を果たしました。

その義経も、頼朝の怒りをかい、奥州衣川で討ち死に。

頼朝は、建久3年(1192)7月に征夷大将軍へと任ぜられ、鎌倉幕府の初代将軍となりました。

建久4年(1193)5月には、御家人たちを集め駿河国で巻狩を開催。 ・・・・『富士の巻狩り』

1201134_2その頼朝も、建久10年(1198)の暮れ、稲毛重成の亡妻(政子の妹)の追福のために新造した相模川の橋供養に参加した帰りに落馬。
翌正治元年(1199)1月13日、53歳で死去。
その死因については、他殺説や怨霊説など、さまざまに憶測されているが不明。

今日の『だん通 eo SE』は、800から年余り前の今日1月13日に亡くなった源 頼朝の生涯を、地車彫刻の題材と共にサクッと振り返ってみました。
いかがでしたでしょうか?
しかし、正治元年1月13日は旧暦で、西暦では1199年2月9日のことなのだとか・・・・。

地車彫刻には、日本の歴史の数々の場面が刻み込まれています。
あなたの町の地車には、いつごろの、どんな人物、どんな出来事、どんな場面が刻み込まれているのでしょうか。
じっくりと見ていけば、日本史のお勉強・・・・。
「やりまわし」に一喜一憂するのも地車の見方かも知れませんが、彫刻に目を向けてみるのも一興。
皆さんも、今年は注意深く、地車彫刻を見てみてはいかがでしょうか。

ほな、今日はこのへんで・・・・。

2012年1月10日 (火)

商売繁盛で、だんじり見に行ってこい!!

ども、だん馬鹿ですpaper

年末年始休暇が終わり、初仕事やなんやかんやと言う間もなく、先週土曜日からは三連休。
正月気分の抜けきれぬ方も多いのでは?

学生諸君は、今日から新学期。
「ぼぉ~っとしてたらあきまへんsign01」、私 だん馬鹿さんみたいな体たらくな人生を送る大人になってしまいますぞ・・・・(苦)。

特に、昨日「成人の日」を迎えた新成人の皆さんは、なに事につけても『がんばりなはれsign03』・・・・。
ちなみに、成人の日とは、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、『おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます』ことを趣旨としているらしいので、親のスネをかじっている青年諸君は「どぉーでもいい」ってことなんでしょうかねぇ~?

そんなことはさておいて、今日1月10日は『十日戎』。
漁業の守り神、福徳を授ける神、商業の繁栄を祈念する神、そう、七福神のひとり、えびす様のお祭り。
例年1月9日~11日におこなわれ、9日が「宵戎」、11日が「のこり戎(のこり福)」。
大阪では『えべっさん』と、親しみを込めてこう呼びます。
近畿圏外でこのブログをご覧いただいている皆さんには、『えべっさん』と言ってもピンとこないと思いますが、東京の『酉の市』みたいなもんやと思っていただけたら。

大阪なら「今宮えびす」に「堀川えびす」、兵庫県なら「西宮えびす」が特に有名。
えびす信仰の盛んな近畿圏には、えびす様をお奉りした神社が多く、皆さんの住む近隣の神社にも奉られている所も多いのでは。

さて、私 だん馬鹿さんも、「宵戎」の昨日、『えべっさん』へ行ってきました。
私の住む堺では、堺区石津町1丁に鎮座する石津神社、西区浜寺石津町中4丁に鎮座する石津太(いわつた)神社が有名。

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どちらも「日本最古の戎社」を称しているので、「今年はいっぺん両方に参ったろ」と思い、夕方に参詣。
どちらの神社も参拝者は、まばら・・・・。その分、私の願い事をじっくり聞いてもらえたかも・・・・?

参拝を終え、「パチンコにでも行こうかな」と思ったものの、えべっさんは耳が遠いと云われているので、それならばもう一箇所お参りするかと大阪へと車を走らせること30分。
訪れたのは、大阪市福島区玉川4丁目に鎮座する野田恵美須神社

こちらの『えべっさん』は、露店も多く、けっこうな人出。
拝殿前は、参拝の行列ができるほど。

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境内には、夏祭りに曳き出される『鯛鉾』も出され、福笹などの吉兆を授ける福娘の声も高らか・・・・。

そして、お目当ては、そう、巷で「大阪屈指の上だんじり」として名を馳せている、野田恵美須神社 宮付地車中(「野田」・「野田玉川」・「御神車講」・「地車中」などとも呼ばれています)の地車。
今年は、9日~11日におこなわれる「宝之市大祭」の三日間、境内にある地車小屋を開け、地車囃子の奉納、振る舞い酒がおこなわれているのです。

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午後7時すぎからは、地車囃子の奉納とともに地車の説明もおこなわれ、参詣に訪れた多くの参拝者が足を止めていました。

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この地車の彫物は、富山県井波出身の名工 川原啓秀 師をはじめ、《川原》一門の手による素晴らしい作品で埋め尽くされていますが、大屋根正面の車板・枡合・虹梁にかけては、同神社の祭神でもある「えびす様」の彫刻が刻み込まれています。

中には、この地車のえびす様に手を合わせる参詣者もいるほど。
その見事な出来栄えは、地車ファンならずとも、必見の価値ありsign03
すでに他の『えべっさん』に行かれた方も、これから行かれる方も、一度足を運ばれてはいかがでしょうか。

ほな、今日の『だん通 eo SE』は、このへんで・・・・。
商売繁盛で、だんじり見に行ってこいsign03

2012年1月 6日 (金)

締切間近の『お年玉キャンペーン』と、彫師 山本仲伸・・・・

ども、だん馬鹿ですpaper

1月6日(金)、私が日ごろから仕事場としている泉大津市内のデザイン事務所に初出勤。
しかし、今年も一週間あった年末年始休暇は、撮影・写真の切り出し・ブログの更新・ブログネタ探しの初詣で、あって無いようなもの。

お正月気分の抜けぬまま、仕事始めを迎えた方も多いと思いますが、明日からはまたまた三連休。
私の場合、年がら年中ボォーっとしてますが、少々気分転換にどこかへ出かけてみようかな・・・・。

さて、本年二回目の『だん通 eo SE』は、姉妹サイト 地車総合ケータイサイト『だんじり』からのお知らせでスタートsign01

近畿一円のだんじり祭を、ムービー・写真で随時配信しているケータイサイト『だんじり』では、恒例の『お年玉キャンペーン』を只今実施中sign03
今年も、私を含めスタッフ一同が足で集めた地車工務店・彫物屋さんのカレンダーを中心に、その他だんじりグッズが合計30名様に当たる一大キャンペーンsign03
その応募締切が、この連休最終日の1月9日(月)に迫ってました。

超入手困難な?カレンダーなどを提供してくれたのは、下記の皆様方(順不同)。

吉為工務店  ☆木彫山本
板谷工務店  ☆上地車新報社
大下工務店  ☆地車製作 隆匠

「あっ、忘れてたsign01」、「えっ、そんなんやってるサイトあったんsign02」なんて言う方も、今年の運だめしに是非一度応募してみて下さいませsign03

今すぐ、画面右上のQRコードからアクセスsign03

また、地車総合ケータイサイト『だんじり』では、今春のスマートフォン対応開始に向け、新たなコンテンツなどを着々と?準備中・・・・。
なお一層盛りだくさんな内容で、地車ファンを魅了すること間違いなしsign02
スマートフォンユーザーの皆様には、もうしばらくお待ちいただくことになりますが、宜しくお願い申し上げますsign03

そんなこんなで、昨年12月のとある日、毎年『お年玉キャンペーン』のカレンダーを提供していただいている《木彫山本》山本仲伸 師の仕事場を久しぶりに訪問してきました。

120106_2できあがって間もない平成24年のポスターカレンダーを広げ、ハイポーズ・・・・。
いつも、提供していただき、ありがとうございます・・・・(感謝)。

師とは、《木下彫刻工芸》から独立し、《木彫山本》を立ち上げた直後からのお付き合い。
このブログやケータイサイトの『だん通』の方でも、度々登場していただいているので、御存知の方も多いのでは?

今年、平成24年は山本仲伸 師にとっては、平成13年6月に《木彫山本》を立ち上げてからの集大成とも云える年・・・・。
そう、皆さん御承知、師が彫物を請負っている岸和田市大工町の新調地車完成の年なのです。

地車彫刻に関わる者なら誰しも一度は、「岸和田旧市のだんじりを・・・」と思い浮かべたことでしょう?
山本 師とて当然、それも責任者として細工するのですから、そのプレッシャーも相当なもの・・・・。

しかし、ここ数年、大工町の彫物に取り掛かり始めた当初から、重圧を感じているというよりは、むしろ、ノミさばきも一層軽やかに、なにやら楽しげに彫物を彫っている様子。
それも、これまでに携わってきた数々の新調地車・太鼓台、新調修復彫物を成し遂げた自信の現れかと・・・・。

「まぁー、見てて下さいよgood」と、いつも通りの不敵なうすら笑いを浮かべながら、師の眼光には鋭いものが・・・・。

聞けば、大工町の彫物も大まかなところは完成し、現在は平成25年完成予定の阪南市自然田 上東組の新調やぐらの彫物を細工中。

噂では、某市某町の新調地車も山本仲伸 師が細工するようで、3人のお弟子さんとともに、益々《木彫山本》から目が離せない状況・・・・(「離してくれていいですよ」と言われそうですが・・・・笑)。

ちなみに、大工町の新調地車の入魂式は、8月19日(日)の予定。
製作にあたるのは、地元大工町に居を構える《池内工務店》池内幸一 匠。
自町の地車だけに、匠の創意工夫、思い入れもひとしおかと。

今から晴れの日が待ち遠しい、私 だん馬鹿さん・・・・。
ほな、今日の『だん通 eo SE』はこのへんで・・・・。

2012年1月 3日 (火)

だん馬鹿さんの正月三が日と、杭全神社のしめ縄上げ・・・・

『だんじり  eo  SE』をご覧の皆さん、新年明けましておめでとうございます。scissors
泉州堺のだんじり馬鹿 こと、だん馬鹿さんでおます。

お屠蘇気分でbottle、あれよあれよという間に1月3日。
今日が、今年最初の『だん通 eo SE』の更新日。

平成24年辰年を私の生まれ育った堺市津久野のお隣、鳳は大鳥の地車小屋開きカウントダウンで迎え、今年もまた地車で始まり地車で終わるのかと思いながら、眠い目をこすり帰路に・・・・。

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元旦は、10時前まで爆睡。
朝昼兼用の、お雑煮とおせち料理で食事を済ませ、昼からは我が氏神様 踞尾八幡神社へ初詣。

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神社横では、今日津久野唯一の上地車保有町となってしまった宮山が地車小屋を開け、鳴り物を披露。
青年団による餅つきもおこなわれ、初詣に訪れる多くの参拝者を楽しませていました。

昨日2日は幼少の頃から参拝している富田林市の滝谷不動へお参りに行くつもりでしたが、目を覚ましたらお昼過ぎ。
参詣は断念し、お雑煮で昼食を済ませ、「いっそのことお仕事だぁ~」と、夕方まで当サイト来週水曜日更新分の「地車写真館」用の写真の切り出し作業。

そして今日1月3日は、6時に起床。
昨日参詣できなかった滝谷不動へ詣でた後、新春恒例の大阪市平野区 杭全神社の「しめ縄上げ」へ・・・・。

例年通り、私 だん馬鹿さんの新春初取材が、この杭全神社の「しめ縄上げ」。
今年は野堂東組が、しめ縄奉納の大役をつとめました。

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地車囃子も高らかに、杭全神社の大鳥居と三十歩神社(赤留比賣命神社)につけられる大しめ縄を地車の前後に取り付けた野堂東組の地車は、8時30分すぎに地車小屋をスタート。
多くの地車ファンが見守る中、一路、杭全神社を目指します。

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古の大阪の下町情緒たっぷりの平野の町には、地車囃子と威勢の良い掛け声が木魂し、冬とはいえ、まさに夏祭りを彷彿させる曳行風景そのもの・・・・。

宮前の大鳥居の付近には、地車の到着を今か今かと待ちかまえる地車見物人の人垣。
その数、およそ500人以上・・・・(だん馬鹿さん推測)。

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宮前では「まいまい」も披露され、大鳥居をくぐり抜け、10時前には神社楼門前に到着。
無事、しめ縄は奉納されました。

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10時30分を前に神社を出発かと思いきや、境内で振る舞い酒、餅まきがおこなわれ、その後、三十歩神社へ向け曳行再開。

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露店の立ち並ぶ参道を抜け、宮前から国道25号線を東進。
宮前東交差点から南進し、三十歩神社の参道を東進。

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11時すぎに、三十歩神社へ到着。
こちらへも、大しめ縄が奉納され、9年に一度の大役を無事終えました。

私 だん馬鹿さんも、平成24年の初取材もこれにて終了。
このブログ更新のため、友人たちに別れを告げ、帰路に・・・・。

野堂東組の「しめ縄上げ」の模様は、後日、当サイト「だんじり動画館」や「だんじり写真館」でも紹介できるかと思いますので、そちらの方もお楽しみにsign03

ほな、新春初更新の『だん通 eo SE』は、これまで・・・・。
今年も、『だんじり eo SE』、ならびに『だん通 eo SE』を宜しくお願いいたしますsign03

2011年12月30日 (金)

だん馬鹿、今年一年をサクッと振り返る・・・・

どもぉー、だん馬鹿ですscissors

平成23年12月30日金曜日、今年も残るはあと一日。
このブログをご覧の皆さん、もう迎春準備はもうお済みでしょうか?

私 だん馬鹿さんは、今朝から津久野の実家で年末恒例のお餅つき。
子供の頃は、杵と石臼でペッタンペッタンとやっていたのですが、いつの頃からか電気餅つき機なるものにとって変わり、今年も餅つき機2号君が大活躍。

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彼の活躍も年に一度。購入から15年以上経っているのにも関わらず、羽根の回転も軽やか。
もちろん、昼食にはきな粉をまぶしたつきたてのお餅をいただきました・・・・(大満足)。

さて、本日が今年最後の「だん通 eo SE」の更新。
今年も週二回のペースを崩すことなく、よくもまぁーくだらぬことをあーやこぉーやと書き続けたものだと、我ながら感心感心・・・・。

くしくも、3月11日(金)の「だん通 eo SE」執筆中には、未曽有の災害をもたらした『東日本大震災』が発生。
テレビに映し出される惨劇に、暫し釘づけになりながらブログを書いていたのが昨日のことのよう。

多くの被災者の方々を少しでも勇気づけられればと、上地車新報社、南河内地車愛好会「河秋会」とともに、『関西地車交流会』なるものを立ち上げ、チャリティー地車見学会を開催。

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多くの方々の御協力・御支援のもと、8回に渡り合計14台の地車を見学させていただきました。

また、あちらこちらの祭礼・イベントを撮影に行く度に目にしたのが『がんばろう日本』の文字。

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ひとりの微力も、その積み重ね・その結集こそが、大きな力となることを実感。
最近は、マスコミも原発問題などは大きく取り上げられてはいるものの、被災地の状況はさほど話題にも上らず、今なお苦しい生活を送られている方々が多いのが現実。
被災地の皆様方には心よりお見舞い申し上げますと共に、一日も早い復興をお祈りいたします。

さてさて、私自身、見たい地車をじっくりと見に行ける機会も、ここ数年めっきり減ってしまいましたが、今年は約10年ぶりに奈良県広陵町 馬見地区の地車を見ることができ、至福のひと時を味わうことができました。
訪れたのは10月15日(土)の祭礼時。

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あいにくの空模様ではありましたが、疋相・平尾・大垣内・安部など、「箱だんじり」と呼ばれる『堺型』地車の数々を堪能。

特に、型式分類の難しい赤部の地車をじっくり見られたことが一番の収穫。

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相野伊兵衛直之 作の彫物の数々には目を見張るものが・・・・。

その他、夏ころには奈良県下の神社を訪問。
神社に奉納された、今は無き地車の数々の彫物を見ることができたのは、地車を研究する上でも珠玉の極み・・・・。
機会があれば、このブログでも詳しく紹介できれば・・・・。

まぁ~、奈良県下の地車については、まだまだ究明されていない部分も多く、驚かされることばかり。
タイムマシンの開発、ドラえもんの登場を切に願う・・・・sign03

平成23年最後の「だん通 eo SE」も、そろそろこれでオシマイ。
今年一年、特に印象に残ったことをサクッと書いてみましたがいかがでしたでしょうか?

地車ファンの皆さんも、今年一年数多くの地車を見に行かれたことでしょう。
人それぞれ、好みや感じ方も違うと思いますが、実際に行って、自分の目で見てこそ、地車の奥の深さを知ることができると思います。
近畿には900台を超える地車が存在していると云います。
来年は、どれだけの地車を見、何かを感じ取ることができるでしょうか。

来る平成24年辰歳、幸多き年であることを願いながら、今年の「だん通 eo SE」はこのへんで・・・・。
次回、新春1月3日をお楽しみにsign03

2011年12月27日 (火)

超有名地車大工奉納の伊勢神宮遥拝所・・・・

どもぉー、だん馬鹿ですscissors

今年も残すところ、今日を含め5日。
明日は仕事場の掃除で仕事納めの私 だん馬鹿さん。
今年も週二回のペースで書き綴ってきたこの『だん通 eo SE』も、30日の更新で年内は終了。
31日、新春1月1日は、姉妹ケータイサイト 『だんじり』の方の「だん通」の更新を予定。
正月3日には、大阪市平野区杭全神社の「しめ縄上げ」の撮影もあり、年末年始休暇もあってない様な状況。
これも致し方ないことと、あきらめムードのこの年の瀬・・・・(辛)。

ご覧の皆さんは、明日あたりから年末年始休暇の方も多いのでは?
海外でお正月を迎える方、故郷に帰省される方、家で寝正月なんて方もおられるとは思いますが、人それぞれ、お正月の過ごし方も多種多様なのでしょう。

お正月と言えば、お決まりの初詣。
私の場合はここ数年、大晦日の紅白歌合戦が終わる前に自宅を出て、隣町である堺市鳳地区の年越し地車小屋開きのカウントダウン。
和泉国の一宮 大鳥大社へ初詣と思いきや、寒さに耐えれずそのまま帰宅し、元旦の午後に生まれ育った津久野に鎮座する踞尾八幡神社へ初詣。
3日の早朝には幼少の頃からおばあちゃんに連れられ参詣している富田林の滝谷不動へお参りし、杭全神社の「しめ縄上げ」へというのが、大晦日から三が日のお決まりのパターン。
まぁー、地車にたずさわる者として地元の氏神さまを差し置いて他の神社仏閣へはお参りしないのが、私のポリシーなのですが・・・・(たまには浮気もしますが)。

1112271皆さんも、地元の氏神さまをはじめ、あちらこちらの神社仏閣へ初詣に出かけられると思いますが、なんと言ってもその代表格は「日本人の心のふるさと」とも言われる三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮。
古の頃より、「お伊勢さん」・「大神宮さん」と呼び親しまれ、関西人にとっては小学校の修学旅行も決まって「お伊勢さん」・・・・。
しかし、交通の便も良くなった今日とは言えども、お伊勢さん参りとなると一日仕事。そう度々にとは、いきません。
まして昔は、歩いて参詣したのですから、並大抵のことではなかったことでしょう。
そのため、遠くへだたった場所からでも本社を拝んだのと同等となるように、各地の神社などでは『伊勢神宮遥拝所』が設けられました。
関東方面で盛んな『富士山信仰』でも見られるように、富士山を模した塚を築き参詣したのも、同様のことでしょう。

さて、『伊勢神宮遥拝所』も各地にあるようですが、初詣で例年200万人以上の参詣者で賑わう摂津国の一宮、大阪市住吉区に鎮座する住吉大社にも『伊勢神宮遥拝所』が設けられています。

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屋根が取り付けられた木製の塀のようなものがそれで、棚の上には鳥居が建てらて、その両脇には一対の松の木の彫刻、鳥居の奥には飾り金物をあしらった鏡がはめ込まれたように見える『神明穴』と呼ばれる穴が開けられています。

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現在の遥拝所は、明治になって建て直されたもので、左右の柱には「明治十一年三月吉日」、「奉納 住吉村 寺田伊兵衛 同 大工佐兵衛」と刻み込まれています。

11122771112278_5この「大工 佐兵衛」なる人物こそ、我々がこよなく愛してやまない地車に名を残す大工の一人、そう御名答!、あの《住吉大佐》十一代目 川崎仙之助 その人・・・・。

大坂夏の陣の折、徳川本陣の急造に駆り出され功のあった大工佐兵衛を初代とし『川崎屋』の屋号を名乗り、代々堂営大工を営んでいた《住吉大佐》。
この住吉大社の北側に居を構え、『大佐式』住吉型地車を創りだしたのが、十一代目 川崎仙之助。

仙之助がこの『遥拝所』を造り、隣に住んでいた寺田伊兵衛と共に奉納したもので、寺田家は近年まで材木商を営んでいたのだとか・・・・。

天保9年(1838)生まれの仙之助、明治11年(1878)は数えで41歳、本厄を翌年に控えて前厄の年。
ひょっとしたら、厄祓いにと、この『遥拝所』を奉納したのかも・・・・?

もともとは住吉大社第一本宮のすぐ横に隣接するように建てられていたそうですが、戦後に移築され、現在は第一本宮の北側、大阪最古の図書館として知られる『住吉御文庫』との間に設けられています。

上地車ファン、もちろん大佐地車ファンの皆さんは是非一度、参詣に訪れてみてはいかがでしょうか。
この『神明穴』を覗けば、古の住吉周辺の地車曳行風景が見えるかも・・・・(地車中毒者の幻想)。
実際には、松の木と灯篭の穴が見えます・・・・(笑)。

ほな、今日はこのへんで・・・・。