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2016年7月

2016年7月31日 (日)

浪花の夏の夢 ~天神祭体験記~②



その『講組織』が現代も残っているのが、ここ『天神祭』であります。

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『だんじり』という祭礼文化は、現在は大阪府の中心部を除いた地域に広く分布し、『だんじり』はそれぞれの地域でそれぞれの祭礼ごとに曳き廻されています。


しかし、大阪の中心部での祭礼は、出し物は『だんじり』に限らず、多種多様なものがあります。

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『枕太鼓』や『布団太鼓』などの太鼓台、『獅子舞』や『舞踊』などの芸能、
担ぎ物としてはモチロン『お神輿』、あとは氏神様にまつわる様々なお供物、大指物などの献上品など、それら多くの出し物のひとつに『だんじり』もあり、それらすべての出し物を維持管理するのが、それぞれの『講組織』・・・という図式です。

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そして、これらの『講組織』を形成する仕事仲間やブレーンは、特に『市場関係』が、当時からも強力であったと云われています。

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現在の『天神祭』でも、一番の権限を有する『催太鼓』を運営する『太鼓中』という組織は、中央市場、東部市場、天満市場、木津市場など、大阪中の市場から『当屋(とや)』と呼ばれる小組織を形成し、それの集合体である『講社』としての『太鼓中』が組織され、その総勢は700人とも800人とも云われています。

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つまり、現代にも通ずる『浪花の文化』というものは、いろんな要素が共存共栄しているものなのです。


まぁしかし、それらの様々な出し物の中でも、音の出る『太鼓台』『獅子舞』『だんじり』の存在感は別格で、他の芸能や神格的な出し物を凌駕して余りあるものであったことは想像に難くありません。

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中でも『だんじり』は、その屋形の姿見や音の大きさ、激しいアクションなどの要素はひときわ存在感を発揮し、また周囲を威圧し圧倒するものであり、多くの人を魅きつけます。

その魅力あってこそ、『だんじり』は現在のように広い範囲に分布し、それぞれの地域に根付いているのですから。

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かつては天満界隈にも多くのだんじりが存在したと云い、江戸時代には天神祭に80台を越すだんじりが近郊から押し寄せ、夜を徹して宮入りしたという記録もありますが、それももう昔の話。


江戸時代の『大坂』は火事が多く、一度火がつけば町一個がすべて燃えてしまうことも少なくなかったそうで、『だんじり』という文化が近郊へと広がってゆくよりも前に、天満界隈のだんじりは絶滅への道をたどってゆくのです。

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おそらく明治に入って中頃までの間に、天満界隈のだんじりはほとんど残ってなかったと思われます。

そんな中、現代まで唯一現存するのが、『天満市場』が運営する『地車講』のだんじり。

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そう、別名『天満の三ッ屋根だんじり』なのであります。


この天満の三ッ屋根だんじりを運営する『地車講』も、天満市場を中心とした仕事関連のブレーンで組織されており、地域住民が中心となって運営している組織ではありません。

つまり、このだんじりを取り巻く人達も、地域の人達ではないという事です。

なのでワタクシはあくまで、『曳き手』を斡旋する人との繋がりでもって参加させて頂いているという事です。

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『天神祭』における『講社』という組織の構造、ご理解頂けたでしょうか?



それでは!


次週からリポート本編に突入して行こうと思います。



(次回に続く)



2016年7月30日 (土)

浪花の夏の夢 ~天神祭体験記~①

 


このテーマは昨年、ケータイサイト『だんじり』の方のブログで何回かのシリーズに分けてお送りしたのですが、今年もまた、ご縁を頂いて『天神祭』で唯一曳き出されるだんじり『地車講』に曳き手として参加させて頂きました。

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そこで今年はこちら、『eo  SE版』のブログにてリポートをお送りします!


題して、『これが浪花の夏の夢!~天神祭・地車講体験記』として、今年も数回のシリーズでお送り致します。

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まず、他のだんじり組織と、天神祭に見る『講社』という組織についての違いからお話してゆこうかと思います。


おぉ!・・・そこから行く?

長くなるよ・・・良いかな?




一般的に だんじりを運営する組織というのは、そのだんじりを保有する地域の住民が中心となるのが主流ですよね?


例えば岸和田を中心とする泉州、河内などの地域では、各町会がだんじりを保有し、その町に住む者が、年齢層ごとに祭礼を運営する組織を形成します。


大阪市内や東大阪などの地域では、町会組織というものが泉州などとは異なるので、だんじりを保有する町会というものは少なく、だんじりは地域の有志会である『地車保存会』が、その管理運営にあたります。

組織の形態こそ違えど、そのだんじりに携わるのは、その地域に住んでいる人たちが中心であることに、違いはありません。


そう、共通しているのは、

『だんじりは地域のもの』

であるという点です。



それに対して、大阪市内の中心部などでは、『講社』という組織が存在します。

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これは何かと言うと、同じ地域や町内の繋がりではなく、仕事仲間や知り合い同士といった繋がりで構成されるものをそう言います。


つまり・・・



現在の大阪市内の中心部、『都市部』と言われる地域・・・天神祭の行われる天満もそうですが、梅田、難波、そして船場などの地域は、今も昔も、昼間は仕事をするために多くの人々が集まる場所でした。

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そうした都市部で祭礼を行う場合、地域の住民だけでなく、そうした仕事のために他所から働きに出て来ている人たちも含めて組織を形成しました。

それが『講社』と呼ばれる組織です。

言い換えるなら、『ブレーン』とも呼べる組織。

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かつての昔、大阪の中心部で行われていた祭礼には、こうした『講社』、すなわち『講組織』がたくさん関わっていたとされます。



(次回に続く)


2016年7月23日 (土)

同じ平野区でも・・・加美の祭は河内の祭…②

 


前回からの続き。


7月15日・16日の両日、氏神・旭神社の夏祭の日程に合わせて曳行される、加美北東のだんじり。

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今年は祭礼を前に、だんじり小屋の移転がありました。

平成11年の購入以来、20年近く使用してきただんじり小屋の賃貸契約が切れ、新しい小屋に移転するため、6月最終の日曜日にその移動が行われたのです。

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新しい小屋を拠点に7月3日(日)は試験曳きと、午後から『子供曳行』が行われました。

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そして迎えた夏祭はまず7月15日(金)。


昼間の曳行は参加者もラフな服装。

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子供たちが綱を曳きますが、平日とあってまだ学校があり、子供の数も少数です。

日曜日の午前中に行われる試験曳きの後、午後から『子供曳行』が行われるのも、祭礼本番が平日開催であることを踏まえての事なのですね。



夜の曳行になると、『旧・平野郷』のだんじりと同じ様にだんじりは曳き綱を外して曳行されますが、曳行スタイルは『平野』のものではなく、一般的な大阪市内スタイルです。

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同じ平野区でも、摂津ではなく河内に属する土地柄、また近隣が生野区の巽、東大阪市の長瀬に接していて、祭礼の形は、そうした土地との繋がりが深いようです。

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16日は土曜日。


昼間の曳行から少しばかり人数が増えます。


この昼間の曳行時に、『まぼろし』と言われた『加美北中』のだんじりと遭遇。

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細田の入魂式の時に、地車研究家のI氏に

『加美長沢』に子供だんじりあるって聞いたけど、見た事ある?

・・・と訊かれたのですが、その時には『加美長沢』という土地が現在の加美のどの辺なのか分からず、

『いや~知らないですね~』

と答えるにとどまっていたのですが・・・


『加美長沢』の地名は、現在の『長沢公園』、そして『長沢住宅』に残っており、そこは正に、『加美北』の中央にあたる部分!

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もしやこの『加美北中』のだんじりこそ、地車研究家I氏の探しておられた『加美長沢』の子供だんじりなのではないですかね~?



さて、この日の夜は旭神社への宮入りなのですが、それに先がけて、加美正覚寺のだんじりが20周年ということで、その記念式典に加美北東のだんじりも列席。

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大阪市内で、しかも中河内にあたる加美の地域で、あくまで『泉州式曳行スタイル』を貫く正覚寺のだんじりも、早いもので20年が経ちました。

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かつてはここ旭神社に細田のだんじりも宮入りしていたのですが、諸事情により氏神を菅原神社に変更し、祭礼日も23日・24日になってしまいました。


そうした変遷の中でも、まぁおそらく加美北東のだんじりは、このスタイルを変えずにこの先も続いてゆく事でしょう。

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だんじり小屋は移転しましたが、ここもまだ正式な小屋ではなく、将来的にはちゃんとした小屋と会館の建設を目標にしているようです。

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来年の祭礼日は土日に当たりますので、また皆さんも足を運んでみては如何ですか?

今週はここまで・・・


2016年7月22日 (金)

同じ平野区でも・・・加美の祭は河内の祭…①

 

 

海の日の三連休の間に、ようやく梅雨明けした様ですね~!

アメリカのNASAが・・・あの宇宙開発をしているNASAが、かつてない発表をした・・・


それが・・・!


『今年は人類史上、最も暑い夏になる!』

でした。


しかーし!


フタを開けてみれば・・・?



例年と変わらんよ!
むしろ涼しい日もあるし。


なので、もうそんな事には構っとらんで、だんじりの話題に触れて行きましょう。


その、海の日の三連休を含む7月15日(金)~18日(月祝)までの4日間は、まさに怒涛の4日間でありました。

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『大阪夏祭』のほぼ大半が、この4日間のうちに行われ、終了して行きました。

実に40台を越すだんじりが、大阪市内のみならず、近隣の東大阪市や守口市、さらには柏原市や八尾市まで含めたあちこちで曳き廻されていたというのに、ワタクシはと言うと、基本的には地元の夏祭が重なっておりまして、あちこち見て廻れないという有様・・・

それでも今年は、ちょっと繋がりのある平野区加美北東の夏祭にお邪魔する機会がありましたので、それを今回ご紹介しようかと思います。

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以前、細田のだんじりの入魂式をリポートした時に、同じ平野区でもここ加美村は、摂津ではなく河内に入るということに触れました。

現在の住所表示にはない、たくさんの字村が存在したことも少し触れたと思います。



その中でもワタクシがお邪魔した、加美北東という地域は、現在の住所表示でいう『加美北』の東側という意味で、『加美北東(かみきたひがし)』と名乗っています。

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決して『かみほくとう』ではないのですね。



で、7月23日(土)・24日(日)に夏祭を迎える細田は、現在の『加美東』を地域として、氏神をJR加美駅前の菅原神社として曳行されます。

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加美北東のだんじりは、もとは和泉市の『信太・幸地区』富秋町の先代だんじりで、幕末から明治初期ごろに製作されたと看られる、『板勾欄式堺型』のだんじり。

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大工は不詳とされ、彫師は『彫又』一門と看られています。

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平成11年の末に富秋町より購入し、翌12年の祭礼よりここ、加美北東のだんじりとして活躍し、現在に至っています。

獅噛みは加美北東へ来て早いうちに彫り替えられ、また平成21年に《板谷工務店》にて修復されています。

さて次回は、いよいよ祭礼リポートをお届けしましょう!




(次回に続く)


2016年7月19日 (火)

浪速の夏の夢・第1弾!~平野郷の夜~②

 



前回、平野のだんじりの夜の曳行は、前進と後退を繰り返しながら前へと進むと表記していますが、その『だんじりが動く範囲』を指し示すものが、だんじりの前後に配置されている『高張提灯』です。

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泉州のだんじりで言う『纏』のような役割を果たす高張提灯ですが、これがだんじりの前だけでなく、後ろにも配置されてあり、夜のだんじりは、この高張提灯を越えて動くことはなく、その範囲内でのみ、だんじりは動くことを許されています。


なので、平野のだんじりを見物に訪れた際に注意すべき事として、この高張提灯の間を横切ることは危険であり、また見物のルール上、禁止とされています。

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さてさて、この『前へ後ろへ前後しながら進む』という曳行スタイルのルーツは、やはり杭全神社への宮入りにあるのではないでしょうか?

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杭全神社の夏祭は、7月11日~14日までの4日間行われ、その内だんじりの曳行日は12日と13日の2日間。

13日の宵宮はだんじりの宮入り日であり、だんじりだけに特化して言えば、この宮入りこそが最大の見せ場であり祭りのクライマックス。

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このとき、国道25号線に面した『宮前交差点』では、各町のだんじりが激しく前進と後退を繰り返し、時には『舞い舞い』、時には『ブン回し』とパフォーマンスを尽くし、完全燃焼するのはご存知の通り。


この鳥居をくぐってしまったら、だんじりとしての祭りは終わったも同然とあって、昔は時を惜しんで鳥居前で粘り、宮入り終了が朝方までかかったとされています。

現在は1町約30分の持ち時間を守って宮入りしますが、ワタクシが見に行き始めた昭和の終わり頃は、まだ宮入り終了が午前零時を大きく回っていた時代でした。


この、宮前交差点にて簡単に鳥居をくぐらないために、鳥居と直前でだんじりを止め、また後ろに戻るを繰り返す・・・

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平野のだんじりの曳行スタイルは、まさにこの『宮入り』のためのもの・・・なのではないか?・・・思われるのです。


6月頃から始まる『制動テスト』に『前夜祭』に『試験曳き』、そして12日の昼の曳行も『九町合同曳行』も、すべてはこの『宮入り』に向けたストーリーであり、すべての集大成が『宮入り』だと言えます。

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この宮前での所作・・・これが、現在の大阪市内でも独自のスタイルと言える、平野のだんじり動かし方に発展してきたのではないでしょうか?


大阪市内の他の地域とは明らかに違う発展を遂げてきた平野のだんじりの事を考えていくと、まだまだ色々な謎にブチ当ります。

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豪壮で激しいアクションをウリにする曳行スタイルのみならず、祭礼における一つ一つの風習などにもスポットを当てて、またの機会に探ってみたいと思います。

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今回はこの辺で・・・

2016年7月17日 (日)

浪速の夏の夢・第1弾!~平野郷の夜~①

 


梅雨明けは~まだかいな・・・


夏祭シーズン真っ最中!
大阪市内の東側を中心に夏祭のピークデーですよ~!

みんなだんじり見物にお出かけ下さいよ~!

参加者の方は事故なく安全に、そして楽しく祭を過ごしてください。




さてさてブログの方は、意外や意外、ワタクシこれまで、平野区・杭全神社夏祭夜の様子について、まだ詳しく語ってなかったですね~。

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そうか!・・・前は昼間の曳行の情緒や雰囲気について触れてたんですね・・・。



平野区・杭全神社の夏祭は、『だんじり祭』としては言わずと知れた、大阪市内最大規模の祭礼であります。

その平野杭全、すなわち『旧・平野郷』の夏祭を一躍有名に押し上げたのが、何と言っても夜の豪壮な曳行風景と、それが最大限発揮される、杭全神社宮入りの様子でありましょう。

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今回は、この夜の曳行について紐解いて行きたいと思うのですが・・・




この、『旧・平野郷』のだんじりの曳行している様子を見ていて、他の大阪市内のだんじりと明らかに一線を画すものだということに、どれぐらいの方がお気づきでしょうか?・・・



そう、実はここ、旧・平野郷のだんじりの動かし方は、ここ旧・平野郷だけに特化したものとなっているのです。

それは、激しく駆け抜けるばかりではなく、常に前へ後ろへ、だんじりを前後させながら進行してくる点です。

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『旧・平野郷』(以下、平野)のだんじりは、昼間は曳き綱が付けられ、子供達が綱を持ち、曲がり角以外はほとんど走らず、(最近は曲がり角でも昼間は走らんくなったけどな~)各家々から御花(御祝儀)を集めながら、比較的のんびりと曳行されますが・・・


いざ夜の曳行となると、曳き綱を外され、だんじりは周囲を若衆にガッチリと固められて動かされます。

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そして、曳き綱のないだんじりは、後ろから若衆が肩背を押す力だけで、あれだけのスピードで駆け抜けるようになるのです。

そして、走りながら舵を取ることが基本的にはないので、まさに一直線、『猪突猛進』という表現がピッタリの動かし方になります。

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そして、平野のだんじりの動かし方の中で『鍵』となるのが、この猛進するだんじりを一撃で停止させる『梃子』の操作になります。


『岸和田型』(下地車)の前梃子の様に、コマに咬まして調整するものではなく、上からつっかえ棒の様に『ガツン!』と差し込むような形式の梃子。

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これを肩背の両端に座って乗っている両者が、停止の合図と同時に息を合わせて効かせる事で、猛進してきただんじりはそのまま梃子を2メートルばかり引きずりながら停止し、反動でだんじりの後部が跳ね上がる様は、平野のだんじりの一大特徴であり、まだ大きな見どころとなります。

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この一連の動かし方が、現在の平野のだんじりのパフォーマンスの、すべての基礎となっています。




(次回に続く)


2016年7月 8日 (金)

平野郷でいう『試験曳き』とは?・・・②

 



前回に引き続き、平野区は杭全神社夏祭に向けた、『平野郷』試験曳きについて検証してみたいと思います。

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この原稿は、筆者の主観と経験に基づいて執筆していますので、各年代や事象などを、平野夏祭実行委員会をはじめ、関係者の方などに確認した訳ではありません。


その上で前回は昭和の終わり頃から平成に入ってからの変革期のお話をしてきました。


それを踏まえて現在の試験曳きの様子を見ていきたいと思うのですが・・・





試験曳きの日程が統一され、また『合同曳行』などの見どころが生まれ、『平野郷』における試験曳きは、祭礼本番に向けてのリハーサルという概念から、少し変化が生じる様になってきます。


つまり、祭礼とは別の、『試験曳き』という名の『祭』という概念です。

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『旧・平野郷』の中の区割りというのは、坂上田村麻呂の時代に、『七名家』によって分けられた伝統的な町割りが存在します。

そしてそれぞれの町が、『平野環濠』の外側に新開地を持ち、祭礼ではそれぞれの町が、その伝統的な町割りの範囲内を曳行します。

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試験曳きは、まだ正式な祭礼ではないため、そうした伝統的な町割りの境界線を越える事が許されます。

それにより、祭礼では行けない場所にある、付き合いのあるお店などへご祝儀をもらいに行ったり出来るのです。


これにより、試験曳きで曳行するコースというのが、ずいぶん自由になりました。

かつては自町内を中心に行われていた試験曳きが、広範囲に曳行できる機会へと様変わりしたのです。

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内環状線の西側のエリアで、だんじり同士の『合同曳行』が行われたりするのは正にその境界線を越境するからこそ実現できるもので、また宮前交差点で2台のだんじりが合流するなどの風景も、そうした事によって実現しています。


そしてこの、『祭礼では行けない場所へ行く』ことと、『合同曳行する』事とが重なり、それが出発時間を早める原因ともなりました。

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『合同曳行』をするために、相手の町との都合を図り、その約束の時間までに、この日しかもらいに行けないご祝儀をもらいに行くという用事を済まさねばなりません。

そのため、必然的に出発時間を早めるという結果につながってきました。


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またJR大和路線の北側に曳行範囲を持つ町なども、出発時間を早めています。



この様な変遷を経て、現在の『平野郷』の試験曳きは、祭礼に向けてのリハーサルという概念から、別のステージへと進化を遂げています。

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それは、祭礼本番の伝統的な縛りから少し逃れて、祭礼ではできない事をやる・・・という、一種のイベント的な要素が加わっているように見受けられるのです。


今年も、早い町では昼間から、そして夕方にはほとんどの町が動き出し、しばらくは各町ごとに曳行していた9町のだんじりが、夜の帳が降りた20時過ぎを境に、あちこちで『合同曳行』を繰り広げました。

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それは、『試験曳き』という名の『別の祭』であり、また、7月13日夜の『地車宮入り』まで繋がっている、平野郷の夏のストーリーの、ほんの1ページでしかないのであります。



2016年7月 5日 (火)

平野郷でいう『試験曳き』とは?・・・①

 


6月最終の土日に行われた、鶴見区・浜の古宮神社の夏祭を皮切りに、各地の夏祭が開幕しました。


これからしばらくは、夏祭に関する話題が連続すると思われますが、まぁそこはシーズンって事で、ヨロシクお付き合い願います。




さぁ、てな訳で・・・早速7月最初のブログに入ってゆくのですが・・・


7月2日(土)に、大阪市内のだんじり祭の中では最大規模を誇る『平野区杭全神社の夏祭』に向けて、その『試験曳き』が行われました。

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実際に見に行かれた方はご存知かと思いますが・・・

この試験曳きは、『本当に試験曳きか?』と思いたくなるほど、その風景は本番さながらです。



元来、『試験曳き』の発祥は岸和田の旧市であり、この岸和田の旧市の試験曳きも、昭和の頃から本番さながらに曳くので、別に『平野郷』の試験曳きが本番と変わらぬ形式で曳かれていても、なんら不思議ではないのですが・・・

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ただ、現在の『平野郷』の試験曳きを見ていると、祭礼に向けてのリハーサルというより、それとはまた別の催し的な要素が見受けられるのも確かなように見受けられます。


そこで今回は、ここ『平野郷』における試験曳きの歴史を振り返りながら、現在の試験曳きについて検証してみたいと思います。





現在は6月の最終土曜日か、7月の最初の土曜日ぐらいに、9台のだんじりが一斉に試験曳きを行う『平野郷』ですが、昭和の終わり頃から平成の初期にかけての試験曳きは、現在とは違うものでした。


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当時の『平野郷』の試験曳きは、6月終わり頃から7月最初の土日のたんびに、2町~4町ぐらいずつバラバラで行われていたのです。

つまり、各町が自町の段取りの都合に合わせて、町ごとに試験曳きの日取りを決めていたんですね。

出発時間もだいたい夕方6時半か7時頃で、現在のように午後や夕方から出発するような事もなかったと記憶しています。

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だから、当時まだ学生だったワタクシなどは、6月も10日を過ぎると、よく学校帰りにチャリンコで平野まで出向き、各町の試験曳きの日程を調べるために、だんじり小屋の貼り紙をチェックしに行ってましたよ!

そして、6月最終の土曜日は◯町と◯町と◯町の3台が試験曳き、翌日の日曜日は◯町と◯町の2台、次の土曜日は残り4台・・・という風に、各町の試験曳きの日程を取りまとめ、それを基に見物計画を立てたものです。


それに、1日2台~4台ずつだったので、見て回りやすかったのも事実。




平成5年以降~平成10年ぐらいまでを過渡期に、平野郷の試験曳きに変化が訪れます。


まず平成5年、野堂北組と野堂町南組の2町により、『合同曳行』がスタートします。

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場所は現在と同じ本町通り商店街と市場筋とが交差する四ツ辻にて、現在と同じように南北のだんじりが向かい合って、それぞれの高張り提灯までを攻め合うというものでした。


昭和の50年代までは、だんじり同士が出会っても手打ちすら交わさなかった平野郷において、2台のだんじりが向き合って曳行するさまに、当時の見物人はみな驚きを隠せなかったと言います。

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この合同曳行はやがて他町にも波及し、現在では試験曳きの名物というか、大きな見どころとして定着しています。




平成5年以降の変革期に起こったもう一つ変化は、日程の統一化です。


これもある年を境に一斉に統一された訳ではなく、各町が設定する試験曳きの日程が、徐々に同じ日に重なり出した事により統一化の傾向が濃くなったと言えます。

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そして、気がつけば・・・というか、いつの間にやら、試験曳きの日程は9町で統一される様になりました。


現在では6月最終土曜日か、7月最初の土曜日で、だいたいですが、6月26日頃から7月3日ぐらいまでの間の土曜日に行われる傾向にあります。

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さぁでは次回は、現在の試験曳きの様子を見ていきましょう。




(次回に続く)