2014年2月28日 (金)

おおとりは・・・・

どもぉー、だん馬鹿ですscissors

昭和50年代から今日まで続く、未曽有の地車新調ラッシュ。
毎年数台の新調地車が産声を上げ、町のシンボル、町の宝として、祭礼時には勇壮華麗に曳行されています。

地車の老朽化、曳行形態そのものの変化、地車の安全性など、地車新調の理由もその土地・町内においても様々・・・・。
もとの地車が名地車との誉れ高き一台であっても、今の曳行形態に合わなければ、形態を変えてでも新調せざるを得ないのが、昨今の堺市内での風潮のよう。

私の生まれ育った堺市津久野も御多分に漏れず、宮山を除けば、「やりまわし」中心の曳行形態への変化に伴い、『岸和田型』へ移行・・・・。
いち早く全地車が『岸和田型』に変わってしまった八田荘地区、いずれは『岸和田型』化してしまうのかと注目の渦中にある鳳地区。
堺でも指折りの名地車と呼び声の高かった鳳地区 野田も、昨年ついに『岸和田型』地車へ移行。
多くの上地車ファンからは、それを嘆く声も・・・・。

さて、同じ堺市内、特に津久野のお隣の鳳地区のこととあらば、気になって仕方ないのがこの野田の新調地車
昨年9月8日(日)におこなわれた入魂式・御披露目曳行には近郷近在から多くの地車ファンが詰めかけ、鳳の町中が行き場もないほどの賑わい・・・・。

1402281 
私自身も、新調の大任にあたっていた《井上工務店》で組み上げの途中に少しばかり拝見させてもらったくらいで、入魂式当日も御披露目曳行の時に遠目で見ただけ。
祭礼日が同じこともあり、じっくりと見る機会もなく、「あぁ~野田の地車、じっくりと見たいどぉーsign01の思いは、秋祭りが終わった後も高まるばかり・・・・。

そんなことを、私の友人であり、地車研究の同朋でもある河内長野在住のK氏に話したところ、さっそく単車に飛び乗り、どこへやら・・・・?
その数日後、「野田のだんじり、見に行くでぇーsign03と電話の向こうから大きな声・・・・。

どうやら、日頃から親しくお付き合いされている野田の保存会長さんに見学会をお願いしに行ってくれたらしく、了解が得られたよう。

日取りも、2月23日(日)に決まり、あとは好天であることを願うのみ・・・・。
とりわけ、地車の見学会となれば、雨雲も避けて通ると言われるほどの『晴れ男』の私 だん馬鹿さん。
この日も朝から絶好の見学日和に恵まれ、待望の野田の新調地車を見学させていただきました。

1402287 
見学会は午前10時からとのことでしたが、午前9時30分頃には早くも地車小屋から出され、多くの見学者がカメラの放列・・・・。

1402288 
中には、この地車の彫物を担当した《木下彫刻工芸》木下健司 親方や実弟の幸治 師、若い職人さんたちの顔もチラホラ。

14022810 
大屋根 枡組四手先九段、扇垂木の入母屋造り、小屋根 三手先七段、配付(カチコミ)垂木、全高はゆうに3m85㎝を越えるであろう堺市内でも有数の大型地車。

1402289 
彫物構成は、「日本神話」、「源平合戦」、「太平記」、「太閤記」、「難波戦記」、「忠臣蔵」など、バラエティーに富み、見る者を飽きさせません。

特に、見どころと言えるのが、土呂幕正面に施された『九州征伐 千代川大合戦』

1402282
これは錦絵にもある題材ですが、地車彫刻では初めての題材かと・・・・。

1402283
真田幸村の軍勢は、馬の顔に面をかぶせ、敵軍の中へ。
驚いた敵方の馬は、驚きのあまり、主を振り落とし、島津の軍勢も右往左往・・・・。

1402284 
馬上の武者は、言わずと知れた豊臣方の猛将 真田幸村

また、見送りには『倶利伽羅峠 火牛の計』

1402285 
これもまた、錦絵には良く用いられている題材で、地車彫刻にもたまに見受けられますが、大脇・脇障子を含め『岸和田型』地車の見送り廻りに施されるのは、これが初めてかと・・・・。

1402286
木下健司 師は、「牛を絡めた見送りは、ほかに参考にするものもなく、普通の倍の時間がかかった」と、その苦労を語ってくれました。

まだまだ、紹介したいのはやまやまなのですが、新調記念誌の発行もあり、彫物の紹介はこのへんでオシマイ。
あとは、発行される記念誌や、祭礼時の休憩時間のお楽しみ・・・・。

この日の見学会は、大盛況のうちに正午ごろには惜しまれながらも終了。
御協力いただきました保存会長様をはじめ、町会関係者、青年団・各種団体の皆様方には厚く御礼申し上げますsign03

嬉しいことに、保存会長さんは、この『だん通』のファンらしく、「毎回楽しみにしてるんやでぇー」との暖かい声・・・・。
他の方からも、「だん通で書いてやぁーsign03とお声を頂戴しました。

お約束は果たせたものの、残念ながらこの『だんじり通信 eo Special Edition』は、なんと、なんと、なんと・・・・、本日2月28日をもって最終回
文字通り、「おおとりは、鳳 野田の新調地車を見てきたどぉーsign01

平成21年4月3日(金)から、つたない文章・誤字脱字の数々なれど、毎週2回、約5年に渡り多くの皆様にご覧いただきましたが、これにて終了。
紹介したい地車や祭礼、書きたいこと、書きたくても書けない地車業界の裏事情など、まだまだネタもあるのですが、私 だん馬鹿さんはしばし充電期に突入sign02

再び書く機会があるのかないのかは、神のみぞ知るってな感じで、『だん通 eo SE』は、これまで。
長々とお付き合いいただき、誠にありがとうございました・・・・(ペコっ)。

2014年2月25日 (火)

住吉の歴史と文化の発見、『住吉の祭りとだんじり』・・・・

どもぉー、だん馬鹿ですscissors

まずは、コチラの写真を見ていただこう・・・・。

1402251 
どうです?、古き良き時代が感じられる、なかなか味わい深い、趣きのある建物。 これは、大阪市住吉区住吉1丁目の住吉街道沿いに今なお残る町屋。

もともとは、大正時代に住吉村の村長を三期務めた油屋さんの住宅だそうで、古い部分は江戸時代にさかのぼるようで、明治時代に移築されてきたものだとか。

1402252 
現在は、大阪市に寄贈・解放され、住吉の歴史を伝える展示と集会の場『すみよし村ギャラリー』『住吉福祉会館』として使われています。

よく目を凝らしてみると、この建物の出格子には、何やら怪しげなポスターが一枚・・・・。

1402253 
『住吉の祭りとだんじり』と大きく印刷されたポスターには、「住吉の歴史と文化発見のための学習会ーパネルトーク」と記されている。
開催されるのは2月22日の土曜日、どうやら「だんじり」の話がおこなわれるらしい・・・・。

実は私 だん馬鹿さん、先週の土曜日におこなわれたこの「学習会ーパネルトーク」の三人の講師の一人として参加させていただいたのであります。

この学習会を企画・主催されたのは、地元住吉で地道な文化活動をおこなっている《住吉文化事業実行委員会》の方々。
この《住吉文化事業実行委員会》は、大阪・住吉の豊かな歴史・文化を発掘し、住吉の魅力を発信し、それを通して地域住民のまちづくりへの参加意欲を醸成する環境づくりをめざすことを目的に、平成22年に設立され、翌年4月からは民間地域団体として独自に活動されています。

これまで、地元住吉に関するDVD記録映像の制作や、それに伴う「DVD上映会&トークライブ」、展覧会や冊子の発行など、様々な活動がおこなわれています。

>>詳しくは、住吉文化事業実行委員会/すみ文のFaceBookを見る   

さて、今回の学習会は、地元に鎮座する住吉大社を中心とした住吉界隈の各町で往古に「だんじり」が曳行され、大阪の祭りには欠かせない「だんじり」の製造拠点があり、住吉大社の建築や造形に携わった技術集団、しいては住吉大社と「だんじり」の関わり、「だんじり」がもたらす大阪や住吉の祭りのあり方を探求し、新たな住吉の歴史と文化の発見を目的におこなわれました。
まぁ~簡単に言えば、「住吉大社があって、住吉大佐がいて、多くのだんじりが曳行されていたことを皆さんに知ってもらおうsign01」ってなことでしょう・・・・。

1402255 
この日、講師として招かれたのは、大阪歴史博物館学芸員の澤井浩一 氏、私の友人で日頃からお世話になっている住吉大社の権禰宜さんでおられる小出英詞 氏

1402256 
そして、そこらの「だんじり好き」の兄ちゃん代表みたく、私 だん馬鹿さんの三人。 どうやら、私は昨年7月に住吉大社でおこなわれている「住吉セミナー」の講師をさせていただいたのが御縁で、小出氏から《すみ文》の方に紹介されたよう。

 開場は午後1時半とのことでしたが、私が会場に着いた1時半少し前には、50人も入れば満席の座敷は既に半分ほどが・・・・。
開演の午後2時にはほぼ満席になるほど、熱心な参加者の方々で溢れんばかり。

1402254_2 
スクリーンに映し出される、写真や資料を見てもらいながら、およそ2時間にわたり三人が代わる代わる熱弁をふるいました。
日頃から、人前で喋ることが苦手な?私にとっては、地獄のような責め苦・・・・(笑)。
参加されている方も、このような勉強会の日頃から参加されているためか、私のつたない講義にも野次ひとつ飛ぶこともなく、御行儀よく聞き入ってくれました・・・・(感謝sign01)。

1402257 
その後、質疑・応答をおこない、予定時間を大幅に過ぎ、4時40分ごろに終了。

往古に、この住吉周辺の多くの町で「だんじり」が曳行され、その後、あちらこちらに売却譲渡されながらも、それらの地車が今日でも大切に曳行されていることを紹介できただけでも、私自身、講師を務めた甲斐がありました。

地元住吉に根ざした歴史・文化の再発見。
今後の《住吉文化事業実行委員会》の活動にエールを送ると共に、願わくば住吉界隈のどこかの町で地車復活の奮起が上がらないものかと思いながら、住吉の地をあとにしました。

ほな、今日の『だん通 eo SE』はこのへんで失礼します・・・・(ペコっ)。

2014年2月21日 (金)

本山連合青年会の皆さんとともに、仕事場見学会・・・・

どもぉー、だん馬鹿ですscissors

ソチ冬季五輪は、あれよあれよという間に終盤戦。
眠い目をこすりながらの深夜のテレビ観戦も、あと数日。
昨夜は、華麗な女子フィギュアスケートのフリーの演技に魅了され、テレビにくぎ付け。
しかし、日本選手は健闘むなしく、浅田真央ちゃんの6位入賞が最高位。
前日16位と出遅れたSPでのミスが、痛いところ・・・・。
演技終了後の彼女の万感の涙とはじけるような笑顔には、見ている側も感極まるものがありましたけどねぇー。

さて、今日の『だん通 eo SE』は前回に続き、神戸市東灘区は本山連合青年会の地車工務店と彫物屋さんの仕事場見学レポの2回目。
今年、連合青年会の会長を務めるTくんの発案でおこなわれたこの見学会。
私も少しお手伝いさせていただき、いよいよ今回は仕事場見学へと突入です。

まず、午前中に訪れたのが岸和田市土生町に作業場を構える《大下工務店》。 棟梁の大下孝治 匠は、昨年7月に設立された関西地車製作事業協同組合の理事長も務められています。

参加されていたほとんどの方が、地車の製作現場を見るのはこの日が初めて。 親方から諸注意を受け、作業場の中へ・・・・。

1402211 
作業場では、富田林市中佐備、東大阪市加納、岸和田市沼町、そして岸和田市春木大国町から地車を譲り受け今年の秋祭りから曳行することになった高石市高師浜(六区)の地車などが修理中。

始めて訪れた地車工務店、多種多様な地車が修理されているだけにも、目を丸くし、驚かれた様子。

日頃から目にする『神戸型』地車とは異なる、『石川型』地車の構造を、たまたま居合わせた中佐備の方々と食い入るように見つめている人たちも・・・・。

1402212 
ちょうど、脇棟梁の高倉三郎 匠は鉋(カンナ)を手に屋根の破風を製作中。
その根気のいる作業には、ことのほか感心されたよう・・・・。

1402213 
そうこうしている間に、修理中の中佐備地車に大屋根が乗せられることに。
チョコチョコ、あちらこちらの工務店を訪れている私とて、なかなかお目にかかる事のない作業。 参加されていた方にとっては、またと見る機会のない光景。

1402214 
吊り上げられる屋根を見上げながら、大きな口をポッカぁ~んと開けている人も・・・・(笑)。

1402215 
屋根を乗せ終えたところで、作業場から表へ移動し、今度は積み上げられているケヤキなどの用材を見学。

1402216 
地車の用材となるケヤキや唐木などを見ながら、熱心に質問する方も。
親方も、近年の良材の不足傾向、用材選びの大事さなどについて、丁寧に答えておられました。

14022112 
ヨコを見れば、材木の上にとまっていた一羽のゴイサギ君も目を丸くし、聞き入っている様子・・・・(笑)。

あまり仕事の邪魔になってもと、見学は一時間ほどで切り上げ、大下工務店をあとに・・・・。

少し早い昼食を取り、午後からは岸和田市尾生町の《木下彫刻工芸》へ・・・・。

少し時間があったので、道すがら、岸和田市池尻町にある久米田寺に立ち寄り境内を散策。

1402217 
観音堂に彫られた玉井行陽 師の作、「龍」の蟇股を案内。
地車彫刻に携わっていた人の作品が、お寺に残されていることに驚かれた様子。
日頃訪れることがあっても、なかなかじっくりとは見ることのない社寺彫刻の面白さも、少しはわかってもらえたのかも・・・・?

そして、多宝塔をバックに記念撮影、ハイポーズ・・・・camera

1402218 
そして、いよいよお待ちかね《木下彫刻工芸》・・・・。
親方の木下健司 師から注意事項を聞いた後、見学開始。

まずは、親方の案内で、仕事場一階の倉庫から・・・・。
倉庫の中には、今秋?に新調御披露目される予定の某町地車の彫物の一部や現在請け負っている寺院彫刻の下絵などを見学させて頂きました。
撮影禁止とのことでしたので、御紹介できないのが残念・・・・。

そして、二階の仕事場へ移動し、見学開始。
仕事場では、職人さんたち7・8名が作業中。 新調地車の彫物を製作中とのことで、こちらも写真撮影は作業風景以外、禁止。

1402219 
下絵、荒彫り、仕上げなど、親方自らが製作工程を説明。
直接、職人さんに質問を投げかける熱心な方もいるほど・・・・。

14022110 
親方も、自らの仕事場に戻り、実際に作業をしながら、様々な質問に答えておられました。

14022111 
《大下工務店》・《木下彫刻工芸》の御協力のもと、実現できた本山連合青年会の勉強会とも言える仕事場見学会。

インターネット社会とも言える昨今、工務店・彫物師さん自ら、HP・ブログ・FaceBooKなどで、仕事の様子を紹介されたりされていますが、実際にその現場に足を運び見学させていただくのも、地車をもっともっと知る上で良い経験になるのかも知れません。

今から30年ほど前、自町地車修理の際に初めて訪れた地車工務店。
17・18年前に、初めて目の当たりにした彫物師さんの仕事場。
何をどう聞いていいのやさえ解らず、ただ仕事場に立ち込めるケヤキの香りに驚きながら、家に帰って来たのが昨日のことのよう。

この日、御一緒させていただいた本山連合青年会の皆さんも、初めて見た仕事場の様子にさぞや驚かれたことでしょう。

最近では、彫物屋さんの実演が度々おこなわれています。
また、工務店の職人さんが出仕事で修理に来られる場合もあり、その仕事を実際に見る機会もあるはず。
そんな機会があれば、他愛もないことでも、質問してみてはいかがでしょうか。
地車に対する見方や思いも、少なからず変わるはず・・・・。

職人さんたちが、丹精込めてコツコツと手を加え作り上げた「だんじり」。
町の宝であると共に、物の大切さも教えてくれることでしょう。

皆さんも、一度は職人さん、匠の技に触れてみてはいかがでしょうか。

では、本日の『だん通 eo SE』はこのへんで・・・・。

大下工務店、木下彫刻工芸の皆さん、ありがとうございましたsign03

 

 

2014年2月18日 (火)

神戸の人たちとともに・・・・

どもぉー、だん馬鹿ですscissors

連日連夜、テレビではソチ冬季五輪に出場している日本選手の映像が映し出されています。
深夜にも及ぶテレビ観戦で、眠い目をこすりながら通勤・通学されている方も多いのでは・・・・?

そういう私もそんな中の一人なのですが、昨夜もジャンプ団体ラージヒルの一本目途中で睡魔には勝てず途中棄権。
朝、目が覚めてワイドショーでその結果を確認するのが、ここしばらくの日課。
今夜もまたまた、睡魔との戦いになりそうです・・・・(笑)。

さて、日本各地が一面の銀世界になった先週末のこと、今年私の友人が会長を務める神戸のとある団体の面々を引率し、岸和田市内の工務店・彫物屋さんの仕事場を見学させてもらいに出かけてきました。

1402185 
神戸と言えば、例年5月のGWにおこなわれる勇壮華麗なだんじり祭りが知られています。

地車を猛スピードで前後させ、「飛ばせ、戻せ」。

1402181 
神戸独特のお囃子にあわせ、地車をコマのように回転させ、屋根の上ではハタキを手にして踊り狂う若者たち。

1402183

1402184 
そして、地車の前を差し上げ、「ジャ~ンとせえーsign01」。

1402182 
私の住む大阪、特に泉州地域の地車曳行スタイルとはまた違った、なかなか勇壮な練りまわしがおこなわれています。

この日、私が引率したのは、神戸市東灘区の本山連合青年会のメンバー15名。
今年、会長を務めるのが私の友人でもあるTくん。

昨年の晩秋に彼から、本山地区の青年会のメンバーにも地車そのものの知識を深めてもらいたいと、地車の本場岸和田市内の工務店・彫物屋さんを見学できないものかと相談を受けました。

地車そのものに対する知識は、安全面に伴う地車のメンテナンス、如いては地車を大切に扱うことへもつながり、地車に深く携わる人にとっては重要なこと。

現在、神戸市内には地車を製作・修理する方もいなくなり、言わば不毛の地。
独特の形態を有する『神戸型』地車の今後を考える上でも、ある程度の知識を持つことは大切なことだと、彼の志にある種の共感を抱き、一肌脱ぐことに・・・・。

しかし、当初30人近い多人数ということで、無理なく見学させてもらえる工務店・彫物屋さんの選定にも四苦八苦。
彫物屋さんは、仕事場も広く、多くの職人さんを抱える《木下彫刻工芸》に決定。

1402186 
問題は、工務店の選定。 やはり、『上だんじり』を曳行している神戸と言うこともあり、『上だんじり』の修理作業を見学できそうな《大下工務店》に決定。

《木下彫刻工芸》の木下健司 師、《大下工務店》大下孝治 匠の両親方にお願いし、御協力いただけることに・・・・。

さて、前日の降り積もった大雪が残る先週土曜日、その仕事場見学の模様は、次回の『だんじり通信 eo SE』でお届けします。 特に、参加された皆さんはお楽しみに・・・・(笑)。

今日はこのへんで失礼します・・・・(ペコっ)。

2014年2月14日 (金)

『だんじり味』あふれる建造物・・・・

どもぉー、だん馬鹿ですscissors

私の住む大阪府堺市ではあまり雪は降らないのですが、昨晩から雪が降り続いています。snow

自宅の周りは、10センチを超える積雪。snow
今朝、いつもなら車で10分足らずの最寄り駅まで、うちのババアを送っていったのですが、所要時間は25分。
多くの車がノロノロ運転。
バス停は、いつやって来るのかもわからないバスを待つ長蛇の列。

そんなこんなで、車通勤での危険を考え、急遽、泉大津市内の仕事場への出勤を取りやめ、今日は自宅でお仕事・・・・。

今日・明日は、近畿地方のみならず、広い地域で大雪の予報。
路面は非常に滑りやすくなっています。
車で出かけられる方、徒歩で外出される方も、十分ご注意のほどをdanger

さて、数日前のこと、私の友人で地車研究のコツコツと地道に続けている友人のP君から写メが送られてきました。

写真に写っていたのは、神社の手洗い場の屋根のよう・・・・。
地車の屋根を再利用し、それを覆うようにさらに屋根をのせているような建造物。

1402141 
破風は古いようですが、野垂木などは、それに比べ新しいよう・・・・。

場所は、奈良県下の某所。
今日、地車の曳行はおこなわれていないような地域で、地車研究の先輩方も往古の地車の有無など調べられていないような地域。

修理の際に取り換えられた古い破風を、工務店や町から譲り受け、装飾(壁掛け)として再利用しているのを目にすることはよくありますが、神社の手洗い場の屋根に再利用しているのは珍しい限り・・・・。

それにしても、この屋根がもともと地車のもので、往古にこの地域で地車が曳行されていたのかも謎・・・・。

この屋根が、往古の地車文化・地車の有無を探る手がかりになる遺物なのかも知れません。 P君の今後の地道な調査が、地車研究の大発見につながるのかも知れませんねぇー。

さて、「だんじり」と言えば、今日では大阪府岸和田市『本場』と言っても過言ではないでしょう。

例年50万人以上の見物客で賑わう『岸和田祭』はもちろんのこと、近畿一円で曳行されている地車の新調や修理なども、岸和田市内や近郊の工務店でおこなわれることがほとんど。

その岸和田市内に祀られている神社のお社にも、『だんじり味』溢れる細工がなされているのを御存知でしょうか?

1402142 
場所は、岸和田市地蔵浜町に鎮座している住吉大神宮

1402143 
平成16年7月に岸和田市漁業協同組合の組合員により建設され、同組合の建物に隣接しお祀りされています。

1402144 
そのお社の軒下に施されているのが、地車の屋根を模したもの。
その下には、大きな鈴が吊り下げられています。

1402145 
破風の上には上地車特有の『獅噛み(しがみ)』が取り付けられるほどの凝り様・・・・。

1402146 
また、お社の両脇には、地車様の勾欄が細工され、彫物まではめ込まれています。

1402147 
漁業が盛んであった岸和田旧市域の浜地区(大工町・紙屋町などの浜七町)の漁業関係者らは、往古から豊漁と平穏を祈願し、毎年住吉大社の祭礼の二日間(夏の住吉祭の日か?)、各町ごとに住吉大神を祀る小さなお社を町内の目抜き通りに立て、お供えをし、夕方から夜にかけて町の人々が参拝していました。

しかし、第二次世界大戦が始まった頃から、その風習は取りやめられ、その多くが焼失または老朽化により失われてしまいました。

平成3年に唯一残っていた大工町のお社を同漁協が引き取り、組合の行事として毎年7月にお祀りするようになり、平成16年に漁業関係者の益々の隆盛を祈願し新たに建てられたのが、この住吉大神宮だそうです。

1402148 
さほど広くない境内には、お社の由来を記した石板、鳥居に燈籠・手水鉢も整備されています。

1402149 
漁業の神である住吉大神を祀り、そのお社に地車を模した装飾を施したのも、こと「だんじり」に情熱を注ぐ『浜っ子』の方々の気質の表れなのでしょう・・・・。
盛大に繰り広げられる『岸和田祭』での勇壮な地車の曳行も、往古から浜七町の方々にとっては、豊漁・安全操業があったればこそなのかも知れませんねぇー。

では、今日の『だん通 eo SE』はこのへんで。
ほな、失礼します・・・・(ペコっ)。

 

2014年2月11日 (火)

夢の実現へのワンステップ、若干24歳の若き親方・・・・

どもぉー、だん馬鹿ですscissors

昨日の夕方、神戸市東灘区在住の友人T君を伴い、岸和田市内の彫物屋さんを訪ねてきました。

その工房にお邪魔するのは、今回が二度目。
師とは、彼が彫物師を志し、彼の師匠のお弟子さんになった頃からの顔見知りである。

昨年の7月のはじめ、その彼が師匠の元を離れ、一本立ち(独立)するとの噂話を風の便りに耳にしました。
それから数日後、とある町の入魂式で彼と遭遇。
「噂の真偽を確かめねば・・・」と、挨拶もそこそこに聞いてみたら、彼は開口一番、元気よく、「ハイ、独立しましたsign01 それにしても早いっすねぇーsign03」と目を丸くしていたのが印象的・・・・。
その日は、ビデオ撮影しなければならないこともあり、「また電話するわ」と告げ、その場を離れました。

その彼の名は、古澤知貴くん。 いや、今は古澤知貴 師と書かねばなるまい・・・・(笑)。

1402111 
師は、このブログでもお馴染みの強面彫物師《木彫山本》山本仲伸 師のお弟子さんの一人で、平成元年10月16日生まれ、今年25歳になる、岸和田木彫界では最年少の親方。

1402114 
山本師に弟子入りしたのは、中学校を卒業間もない平成17年4月1日。
当時の山本師の工房には、大阪市城東区のN君(廃業)と高校へ通いながら週末に見習いとして工房へ来ていた、今や師の右腕として活躍している飯坂秀太くんの二人のお弟子さんがいました。

聞けば、古澤師は、堺市鳳地区で地車が曳行されている高石市富木の出身。 幼い頃から、父親ともども地車の曳行に参加。
平成12年9月に新調、平成13年9月に完全完成した現在の富木地車に組み込まれている彫物の華麗さに目を奪われ、「自分もこんな彫物が彫れる人になりたい」と思ったそうである。

特に、《木下彫刻工芸》時代の山本師が細工した右側土呂幕の『奥州高館の戦い』の力強く迫力ある彫刻に感銘を受けたそう・・・・(写真が手元になく申し訳ない)。

その山本仲伸 師は、平成13年6月に《木下彫刻工芸》から独立。
泉佐野市泉ヶ丘に工房を構え、《木彫山本》の看板を掲げました。

富木地車の彫物を見るたびに、若き古澤くんの「彫物師になりたい」との思いは深まるばかり。
中学2年の頃には、「弟子入りするなら、木彫山本しかないsign01」との思いで入門を決意。
中学卒業前にその門をたたき、ちょうど山本師の出世地車となる堺市津久野地区 中組の新調地車の彫物を請け負ったこともあり、彼の熱意に心打たれ、山本師も弟子入りを許したそうである。

現在、古澤知貴 師は生まれ育った富木の地を離れ、《大下工務店》や《植山工務店》の目と鼻の先、岸和田市南上町2丁目に自宅兼工房を借り受け、《木彫古澤》の看板を掲げています。

山本師の元での年季奉公を終え独立したとはいえども、まだまだ工務店から直接仕事をもらえるはずはなく、今や人気沸騰中の師匠から仕事をもらい、師匠の「助っ人」として日々精進・・・・。

昨年の夏、山本師の工房を訪れた際に、古澤師独立に関して、話をうかがったのですが、年季が開けて間もない若者の独立を危惧されていました。
しかし、工房を別にして一人で考えながら作業するのも修行。
その手助けをするのも、師匠の務めかも知れないと、独立を認めたのだとか・・・・。

私が工房を訪れた昨日は、出来上がった師匠から託された今年完成予定の貝塚市南近義地区 堤の新調地車の彫物を前に置き、友人から頼まれた結婚祝いの置物を細工中。

1402112 
古澤師も、「早く一本立ちしたとて、まだまだ親方におんぶにだっこ・・・」。
日々精進・努力を積み重ね、自分自身の彫物を模索しながらも、いつの日にか親方を越え、「これが古澤の彫物か・・・」と後世の人からささやかれるようになりたいと、力強く語ってくれました。
「でも、そんなんて、僕が死んでからですよねぇー」と茶目っ気たっぷりに笑っていたのも、入門当時の知貴のまま・・・・。

1402113 
中学生の時からの弛まざる意志の強さ、夢の実現へ向けての努力は、オッサンになってもフラフラしている私にとって尊敬するに値します・・・・(辛)。
入門当時から彼のことを知るものの一人として、彼の夢の実現は今後の努力次第・・・・。
今後も、彼の成長を陰ながら見守っていきたいと思いながら、《木彫古澤》をあとにしました。

知貴、おごることなく、謙虚な気持ちで、がんばれsign01

「なんか、親父みたいやなぁー」と思いながら、今日の『だん通 eo SE』はこれでオシマイ。
ほな、失礼します・・・・(ペコっ)。

2014年2月 7日 (金)

夢の新調地車完成へのStep2・・・・

どもぉー、だん馬鹿ですscissors

ついこの前までのポカポカ陽気がウソの様に、2月に入った途端、連日の凍えるような寒さ。
昨日・一昨日は、私が仕事場を置く泉大津市内でも、時折雪が舞うほど。snow
天気予報では、近畿地方は今夜からの明日にかけて大雪のおそれがあるのだとか・・・・。snowsnowsnow
降雪や気温の低下で、路面も滑りやすくなるかもしれませんが、車でお出かけなさる方や歩行者の方も、十分ご注意のほどを・・・・。

さて、去る平成25年11月10日(日)の大安吉日、堺市八田荘地区 毛穴町では、平成29年の新調地車完成に向け、その用材の『原木祭』がおこなわれました。

1402071 
その様子は、昨年11月12日の『だん通 eo SE』でも紹介させていただきました。

>>11月12日の『だん通 eo SE』を見る

『原木祭』は、作業の無事安全と地車の無事完成を祈願するとともに、用材を清め祓う神事。 同日おこなわれた『手斧始め』や『彫刻始め』も、またしかり・・・・。 地車新調完成に向けての始まりでもあり、いわば町民の方々の夢の第一歩

そして原木祭から三カ月の時を経て、昨日2月6日(木)、新調地車完成への「Step2」とも言える用材の木挽き、俗にいう『木割り』が、用材を保管している貝塚市内の倉庫の敷地内でおこなわれました。

1402072 
毛穴町の新調地車の用材となる欅の原木は茨城県産で、二本で重さおよそ16トン。
大きい方は樹齢300~350年、細い方でも200~250年はあろうかという巨木。 その長さも、優に10mを超えます。

午前9時過ぎから木挽き職人さんの手で、根元の部分と先端部分が切り落とされ、三分割されました。

1402073 
その後、根元の方の部分を移動式のチェーンソーで縦に真っ二つに切り分けられました。

14020713_6 
植山工務店の職人さんにより墨付けがおこなわれ、それに合わせて移動式のチェーンソーが移動するガイドレールを用材の周りに据え付け、作業の開始。

14020713_7 
この日来られていた毛穴町の方々にとっても初めて見る光景に、誰もがその作業を食い入るように眺めておられました。

14020713_8_2 
職人さんが操るウインチで、チェーンソーはガイドレールに沿ってゆっくりと動いていきます。

14020713_10 
吐き出される「おが屑」とともに、辺りにケヤキ独特の香りが漂ってきます。
これが言わば、だんじりの匂い・・・・。

14020713_9 
そうこうしているうちに切断し終え、フォークリフトで下ろしてみると、きめ細かな木目が・・・・。

14020713_11 
木挽き職人の方に聞けば、「植山さんは、いつもエエ木使うなーsign03
我が町の地車も、10年前にこの職人さんに木挽いてもらいましたが、同じことを言っていたような・・・・(笑)。

続いて、真ん中の部分を木挽き。

14020713_12 
根元の部分と同様に、ガイドレールを据え付け、切断していきますが、こちらは根元の倍はあろうかというほどの長さ。

14020713_13 
チェーンソーを巧みに動かし、20分ほどでフィニッシュ・・・・。

14020713_1_2 
真ん中の部分は地車の腰廻り部分の彫物の部材に用いるようで、木口と中心部分に割れ止めの木工用ボンドが塗られ、もうしばらくは天日乾燥。

14020713_14 
根元の部分は、さらに切り分けられ、「松良」や「大脇」などの部材になるのだとか。

ある程度の大きさに切断され、乾燥させた用材は、それぞれの部材の大きさに「木造り」がおこなわれます。
この乾燥・「木造り」がおこなわれる間が、彫刻図柄を決める新調委員の方々にとっては、楽しくもあり、頭を悩ませる大切な時期。
「木造り」が終われば、彫物師さんの元で見事な彫刻に生まれ変わります。

気が付けば、時間はお昼をまわり、しばし昼食休憩。
作業は夕方まで続くとのことでしたが、毛穴町の方々や取材に訪れた私はこれで撤収。

帰り際に、日頃から顔なじみの友人・知人から、「これから帰って『だん通』に上げてやsign03との催促・・・・(笑)。
昨日は無理でしたが、約束通り、全国80万人のファンを持つ『だん通 eo SE』でアップしましたよぉーsign01
まぁー、そんなにファンはいないと思いますが・・・・(笑)。

そんなこんなで、毛穴町新調地車完成へのStep2」、『木挽き』の模様はこれでオシマイ・・・・。
毛穴町の皆さん、夢の実現へ向け、頑張って下さいねぇーsign01
取材協力に感謝sign03

 

2014年2月 4日 (火)

驚きの超ビッグスケール! こんな獅子頭見たことない・・・・

sign01どもぉー、だん馬鹿ですscissors

今日2月4日は、立春。
古来から、暦の上では、この立春の日が一年の始まりの日、春の始まりとされています。
今日は立春とはいえ、ここ数日の暖かさが嘘のように、外は冷たい風が吹いています。
暦の上では春ですが、まだまだこれからが冬本番。
風邪などひかぬよう、御用心、御用心・・・・(ハクションsign01)。

さて、節分を目前に控えた2月1日の土曜日、午前中に2カ月に一度の血液検査のために病院へ行った帰り道、大阪市浪速区元町2丁目に鎮座している難波八阪神社を訪れてきました。

1402052_2 
この難波八阪神社は、古来から「ミナミ」と呼ばれる難波周辺一帯の氏神様として信仰を集め、かつては七堂伽藍・子院十二坊を有する繁栄ぶりでしたが、兵火に遭い衰退。
明治維新後は、神仏分離で寺は廃絶し、昭和20年の大阪大空襲では社殿が焼失。 現在の社殿は戦後に再建されたものです。

この神社には、大きく口を開けた獅子頭をかたどった、高さ12m、幅7m、奥行き7mの超巨大な『獅子舞台』があると聞いていましたが、これまでに見たことがなく、「一度見てやろう~sign01」と同神社を訪れてきました。

1402052_1 
神社南側の鳥居から境内に入っていくと、正面に拝殿が見えます。
その手前の左側にあるのが、「日本一の獅子頭」と言われる獅子舞台。

1402052_3 
間近で見上げると、なんだかよくわかりませんが、少し離れて見ると、大きく開いた口が舞台になっています。

1402052_4 
難波八阪神社は、昔から子どもたちの獅子舞が盛んで、夏祭りなどでは仮設の舞台を設営し、獅子舞などをおこなっていたそうですが、昭和49年(1974)に社殿が改築されたおりに、常設の舞台として、「日本一の獅子頭を」ということで、この巨大な獅子頭の舞台が造られました。

目にはライト、鼻の穴にはスピーカーが仕込まれていて、夜の催しの際には目玉も光るのだとか・・・・? 機能も充実、ユーモア―たっぷりな大阪人の気質が、よく現われているよう・・・・(笑)。

目の横には、「目くそ」も付けられているのかと思いきや、よくよく見てみると、二羽のハト・・・・(爆笑)。

1402052_5 
さて、この超巨大な獅子舞台の原型を作成したのは、かつて地車彫刻も手掛けた彫物師 後藤更星(本名:力男)。
舞台の右下の角には、『原形彫刻 後藤更星』と刻まれた石板がはめ込まれています。

1402052_6 
後藤更星は、浪花彫《高松》一門の流れを汲む彫物師さんで、地車彫刻に名作を残す二代目 高松彦四郎(安田夘ノ丸)門下の平間勝利の弟子であった金山源兵衛に師事した人物。
四国は徳島県の出身で、昭和初期(戦前)の『岸和田型』地車を名工 玉井行陽、川島暁星の助として手掛け、その後、主に社寺彫刻を手掛けています。

お弟子さんには、多くの地車を『助』として影ながら支えてきた井岡勘治・与那嶺勝正 師らがおられます。 また、岸和田木彫界の第一人者として活躍されている《木彫岸田》岸田恭司 師も、筒井和夫に師事する前は、後藤更星のお弟子さんでした。

その代表作とも言えるのが、昭和7年に岸和田市八田町が新調した、現 泉大津市我孫子の地車

1402052_7 
左土呂幕の前板が、後藤更星の手によるものとされており、奥板などは玉井行陽の手によるもの。

1402052_8 
人物の表情のすばらしさ、馬の顔にも特徴があり、なかなかの作品かと・・・・。

1402052_9 
私自身、後藤更星の彫物をあまり目にしたことがなく、『後藤探し』が今後の課題かも・・・・。

同師は、昭和61年に享年73歳で他界されていますが、戦前に製作された多くの『岸和田型』地車にその足跡を残しているようです。

今回見に訪れた難波八阪神社の獅子舞台は、岸田恭司 師がお弟子さんであった頃に原形を製作されたよう。

驚きのビッグサイズsign03 皆さんも見に行かれれては、いかがでしょうか・・・・sign01

ほな、今日の『だん通 eo SE』はこのへんで失礼します・・・・(ペコっ)。

2014年1月31日 (金)

名地車の誉も高き海老江西之町の地車、只今修理中・・・・

どもぉー、だん馬鹿ですscissors

あぁーやこぉーやと言うてる間に、1月も今日でオシマイ。
バタバタと新年を迎えた思ったら、バタバタと一ケ月が過ぎ、明日から2月に突入。

地車オフシーズン中の今月は、恒例の平野区杭全神社の「しめ縄上げ」に、今年で2回目の柏原市 柏原恵比須神社『七日えびす』の奉納地車曳行と、だんじりが曳行されるのを見る機会もありました。

また、泉大津市上之町・岸和田市春木宮川町・高石市匠(八区)・河南町平石などの地車が、修理のために工務店に搬入されました。

1401311 
上之町の地車は、早くも二週間ほどで修理作業を終え、1月26日(日)に町内搬入。 入魂式や御披露目曳行は行われませんでしたが、今秋に入魂式がおこなわれるとの情報も・・・・。

さて、そんな中、1月18日(土)に一台の地車が修理のため岸和田市の《植山工務店》に搬入されました。

1401312 
この日、工務店に搬入されたのは、地車ファンの間では大阪市内数ある地車の中でも名だんじりの一台に数えられる大阪市福島区 海老江西之町の地車

1401313 
西之町に残る古文書には、「安政2年卯年(1855)3月6日棟上、大坂松江橋南詰少シ東へ入 三木屋 大工卯兵衛、金物一式 大坂心斎橋 小林利兵衛、彫物一式 大坂嶋之○八順筋 相野徳兵衛、綱 九条本田 かまや佐兵衛」などの記録が残されています。

1401314 
特に、相野徳兵衛の手により見送り三枚板に刻み込まれた『三国志』劉備・関羽・張飛の姿は、彫物ファンを魅了する逸品。

1401315 
その表情、躍動感あふれる姿は、相野ファンならずとも、目が釘付けになるほどの出来栄え。

1401316 
また、獅噛みは昭和9年に大阪城天守閣でおこなわれた博覧会に出品され、優秀な成績を収めたと伝わっています。

1401317 
今回の修理は肩背棒の交換などがおこなわれるそうで(間違ってたらゴメン・・・)、本来なら地車小屋にて出仕事でおこなわれる予定でしたが、作業の段取りの都合で急遽、《植山工務店》に搬入しておこなわれることになったよう。

1401318 
搬出当日は、町の方が揃って氏神様に作業の無事完成を祈願し参拝。

1401319 
そのあと、境内で大屋根の箱棟が下ろされ、神社の鳥居をくぐり、搬送車の待つところまで移動。

14013110 
積み込み作業も終わり、午前10時すぎには岸和田へ向け、海老江の地をあとにしました。

14013111

残念ながら、私は所用のため現地に赴くことはできずに、写真撮影は河内長野市在住の地車研究家のK氏に依頼し、《植山工務店》で到着を待つことに。

14013112 
しかし、これまた間に合わず、お昼前に到着した頃には雨もポツリポツリ、西之町の地車は既に、作業場の中に・・・・。

西之町の地車は製作から150年以上の歳月を経て、これまでにも幾多の修理がおこなわれていることでしょう。
平成17年3月6日には、海老江西之町地車150周年記念曳行もおこなわれています。
日頃からのメンテナンスがあればこそ、先人たちが残してくれた町の宝物を今日まで、曳き続けることができるのです。

現在、大太鼓の張り替えもおこなわれているそうで、その完成に合わせて、地車の修理が終われば、3月中頃には町内に搬入され、4月の上旬に試験曳きを兼ねてお披露目がおこなわれる予定とか・・・・。

さらに、同じ海老江南之町の地車も、現在《植山工務店》で修理中。
南之町の地車もまた、名地車の一台に数えられる逸品。

機会があれば、久しぶりにじっくりとこの名地車を見てみたいものだと思いながら、今日の『だん通 eo SE』はこのへんでオシマイ。
ほな、また・・・・(ペコっ)。

2014年1月28日 (火)

奈良県の某神社で、こんなもん見ぃ~つけた・・・・!

どもぉー、だん馬鹿ですscissors

この前の日曜日のこと、午前中の早い時間に奈良県御所市に行かなければならない用事ができたため、《植山工務店》での修理を終え、この日に町内へ搬入される泉大津市上之町の地車を見に行こうと思っていたのですが、残念ながら見ることはできず仕舞い。

午後からは、修理のために《大下工務店》に搬入される河南町平石地車を見に行く予定にしていました。

1401287 
御所市から河南町平石までは葛城山を挟んで東と西。
国道309号線を車で走れば20~30分の距離・・・・。
御所市内での用事は午前9時前に済んでしまい、わざわざ堺の自宅まで戻ってから平石に行くのも、無駄な労力。

それならば、久しぶりに御所周辺の神社探索をしてやろうと、一念発起。
目的は、やはり地車に関すること・・・・。

奈良県下では、現在40台余りの地車(子供・手造り地車を除く)が曳行または保存されています。
しかし、往古にはそれをはるかに超える数の地車が存在し、曳行されていたものと地車研究者の間では考えられています。

地車研究の一級資料とも云える『住吉大佐 地車請取帳』にも、それを示すかのように奈良県下の多くの村名が記載されています。

現在も地車を保有し曳行している村落もあれば、往古に曳行されなくなり他所へ譲渡されたり、残念ながら解体され処分されてしまったものも数多くあると思われます。

近畿一円で曳行されている地車の中にも、往古に奈良方面から譲り受けたと伝わる地車が多く存在しています。
また、その土地で曳行されなくなった地車のものと思われる彫物が神社の拝殿に残されていたり、『奉納額・絵馬』に姿を変え氏神様に奉納されていたりすることが、奈良県下では見受けられます。

1401281

1401282 
この様な『奉納額』については、以前の「だん通 eo SE」や姉妹サイト《地車総合サイト だんじり》の「だんじり通信」でも度々紹介しています。

>>奉納額に関する記事を見る

さて、この日もそのような解体された地車の遺物が残されてはいないかと、御所市周辺の神社を探索に出掛けました。

1401283 
そのような遺物はこれまでにも、地車研究の大先輩や友人らが数多くの神社を探索して発見されていますが、今なお新たなものが見つかることも・・・・。

残念ながら、数時間の間に訪れた10ヶ所ほどの神社では、そのような遺物にはお目に掛かれませんでしたが、とある神社の拝殿で手造りの一枚屋根の地車を発見しました。

1401284

1401285 
彫物などはなく、コマも電線などが撒かれる太鼓状のリールを再利用したもの。 現在、曳行されているものなのかはわかりませんが、この地でも今なお地車文化が受け継がれている証しであると感じさせられました。

この他にも、数ヶ所で子供地車または子供みこしなどが収められていると思しき建物(地車小屋)も発見。
また、某寺院の花木の手入れに来ていた年配の方からは、「彫物もなく、岸和田ほど豪華ではありませんが、結構大きな地車を今も曳いてます」と話を伺うことができました。
この方は村内の少子高齢化を嘆いておられましたが、その地は『住吉大佐 地車請取帳』にも記載されている集落で、形や豪華さは違えども往古からの地車文化を廃らせることなく、今日までも継承されていることに頭が下がる思いでした。

残念ながら、地車彫刻を再利用した奉納額などは発見できませんでしたが、わずか数時間の有意義な神社巡り・・・・。
訪れた地がさほど大きな集落ではないにしろ、大きな家屋敷が建ち並ぶ光景に、往古には地車を保有していたであろうことを再確認。

1401286 
現在の祭礼形態や練り物(地車・神輿など)の有無を含め、往古の地車についての聞き取りなど、今後の調査の必要性を感じながら、大和の地をあとに河南町平石へと車を走らせました。

では、今日の『だん通 eo SE』はこのへんで・・・・(ペコっ)。